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 世界で最初のクリスマスのお話 ~何者でなくてもいいんだよ~ 

「さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。

すると、主の使いが彼らのところにきて、主の栄光があたりを照らしたので、彼らはひどく恐れた。

御使いは彼らに言った。

『おそれることはありません。

今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。

きょう、ダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。

この方こそ主キリストです。

あなたがたは、布にくるまって飼い葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。』

すると、たちまち、その御使いと一緒に、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。

『いと高き所に、栄光が、神にあるように。

地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。』

御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。

『さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見てこよう。』

そして急いでいって、マリヤとヨセフと、飼い葉おけにねておられるみどりごとを捜し当てた。

それを見た時、羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを知らせた。

それを聞いた人たちはみな、羊飼いの話したことに驚いた。

しかしマリヤは、これらのことをすべて心におさめて思いを巡らしていた。

羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部、御使いの話の通りだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。」(ルカ2:8-20)


クリスマスという言葉は、Xristos(キリスト)と mas(礼拝や祭り)という言葉から来ている。

つまり、「キリストの礼拝」という意味だ。


世界で最初のクリスマス礼拝をしたのは、羊飼いたちだった。

当時のユダヤ社会では、羊飼いという職業は人々に蔑まれるような身分の低い仕事とされ、3月から11月の放牧期間には、羊たちは放牧され、夕方になると、囲いの中に羊を入れて、夜通し番をするような厳しい仕事だった。

神様は最もさげすまれ、弱く、力ない人たちに全人類、全世界を揺るがすような大事件!!大ニュースを伝え、世界ではじめてキリストを礼拝する者とさせてくださったのだ。



さて、羊飼いたちは、「きょう、ダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。

この方こそ主キリストです。」という知らせを受ける。

ダビデの町とは、ベツレヘムのことだが、そこに救い主がお生まれになったというのだ。



もし、誰かが、日本人である私のところにやってきて、「救い主が生まれたよ~」と知らせてくれても、「へえ、なんのこと?」となる。

「え?救い主?神様ならわかるけど、キリストって何?」となる。



でも、この知らせを受けた羊飼いたちは、ユダヤ人だった。

イエスキリストが生まれる前から、神様は、ユダヤ人たちを選び、異なる身分や職業、異なる時代の多くの預言者たちに救い主の到来を預言させていた。

旧約聖書には、次のような預言が記されている。

キリスト(救い主)が人間世界に来ること(創世記3:15)、

BC2100年ごろには、キリストがユダヤ民族の中のユダ族に生まれること(創世記49:10)が預言されている。

BC1000年ごろには、ダビデ王の家系に生まれること(創世記49:10)、

BC750ごろには、全人類の罪(神を無視して自己中心的に生きる的外れな性質のこと)の身代わりとなって死ぬこと(イザヤ53:5-6)が預言され、

BC700年には、ベツレヘムの町で生まれるということ(ミカ5:2)

そして、メシアとして出現した後、からだを釘づけにされること(ゼカリア12:10)がBC550年ごろ預言されている。


罪によって断絶されていた神様と人との交わりを回復し、永遠の滅びに向かう人類を永遠のいのちに入れるために、父なる神が子なる神をこの世に遣わし、十字架につけるということだ。

「神は実にひとり子をお与えになったほどに世(人間)を愛された。

それは、御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)

イエス様は、死んで3日目によみがえることで、死をうちやぶり、神の御国、永遠のいのちへの道を開かれる。



この救い主の降誕の知らせを聞いた羊飼いたちがユダヤ人だったから、これまで預言されてきて、待ち望んでいたキリストが生まれたのだということを理解することができた。

主の使いも、わざわざ預言されているベツレヘムで生まれたことを知らせ、預言が成就されたのだと伝えている。

キリストは、急に出てきて「我こそが救い主」と言ったのではない。

キリストの降誕は、預言の成就なのだ。



「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに見せてくださったこの出来事を見てこよう。」

羊飼いたちは、御使いの知らせを聞いても、信じない、行かないという選択肢もあった。

でも、彼らは、従順に主の使いの言葉を信じて従った。

すると、本当に住民登録のためにベツレヘムにのぼってきていたマリヤとヨセフ、そして、みどりごイエスを見つけたのだった。

宿屋が見つからず、マリヤは家畜小屋でイエス様を出産し、布にくるんで、飼い葉おけに寝かせていたのだ。



「羊飼いたちは、このおさなごについて告げられたことを知らせた。それを聞いた人たちはみな、羊飼いの話したことに驚いた。」とある。

「驚いた」とは書いてあるが、「みな(彼らの話を)信じた。」とは書いていない。

救い主に会えると聞いても、信じず、会いに行かない者もいるだろう。

また、この方が待ち望んでいた救い主だと聞いても、驚きはするが、信じない者もいるだろう。

信じない者ではなく、信じる者でありたい。


一方、マリヤは、驚かなかった。

「しかしマリヤは、これらのことをすべて心におさめて、思いを巡らしていた。」

実は、マリヤは、すでにイエスをみごもる前に、御使いから御告げを受けていたのだ。

「御覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。

その子はすぐれたものとなり、いと高き方の子と呼ばれます。」(ルカ1:31-32)

「聖霊があなたの上にのぞみ、いと高き方の力があなたをおおいます。

それゆえ、生まれる者は、聖なるもの、神の子と呼ばれます。」(ルカ1:35)


ヨセフもまた、御使いから御告げを受けている。

「ダビデの子ヨセフ。おそれないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その体に宿っているものは聖霊によるのです。

マリヤは男の子を生みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」(マタイ1:20-21)

ヨセフは、この神様の言葉を信じ、みごもったマリヤを妻として受け入れた。


神様は、唐突に何かをされるのではなく、信じることができるように段階、段階を踏んで、しるしや言葉を与えて、信じることができるように導いてくださるお方だということがわかる。

クリスチャンになると、この不思議な御業を何度となく経験していく。




さて、信じてキリストに出会い、キリストを礼拝した者はどうなったのか。


「羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部、御使いの話の通りだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。」とある。

社会からさげすまれ、悩みの中にいて、これから先どうやっても自分の状況、自分の地位、自分の生活環境も変わりそうもない、そんな羊飼いたちは、喜び踊るようにして、神様をあがめて賛美しながら帰っていったのだ。


キリストに出会うと、人生が変わってしまう。

そればかりではない。

全人的に造りかえられてしまうのだ。



暗闇の中で、自分には一生光が差し込まない、

自分なんかもうダメだ、

何をやってもうまくいかない、

どこに行っても、しっくりいかない、

どんなにがんばったって、自分なんてたかがしれている、

この世に居場所がない、

自分なんて死んだほうがましだ、

生まれてきた環境が悪い、

育てられ方が間違っていた、

健康さえあったら、、、

お金さえあったら、、、

もっと、いい配偶者に恵まれていたら、、、

もっと、いい学校に行っていれば、、、

過去のあの事さえ起きていなければ、、、

皆と同じじゃないから、差別される、

皆と同じじゃないから、いじめられる、

愛したいのに、憎んでしまう、

優しい人になりたいのに、ひどいことを言ってしまう、

安心したいのに、悪いことばかり想像して不安と恐怖に襲われてしまう、、、


もし、今、そんな暗闇の中にいるなら、

もし、今、自分がもう嫌で嫌で仕方がないとしたら、

もし、自分のいびつさ、孤独、自分にはどうすることもできないような状況に打ちのめされているとしたら、、、

その人は幸いな人。

主の救いの知らせは、弱さや暗闇の中にいる羊飼いのところにやってくるのだから。



私たちは、キリストに出会う時、罪から解放され、愛とあわれみ、祝福、癒しの源である万物の創造主なる神様との交わりを回復し、永遠の滅びの道から解放され、永遠のいのちに入れられる。

人は皆、生きている者も死んだ者も、この世の終わりの時、神の前に裁かれる。

でも、自分が神様を無視して自己中心的に生きてきたことから方向転換をし、イエス様を救い主として受け入れるなら、その人の罪はゆるされると神様は約束してくださっている。


「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。

古い者は過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(第二コリント5:17)


「まことにまことに、あなたに告げます、人は新しく生まれなければ、神の国を見ることはできません。」(ヨハネ3:3)


何か立派なことをしたからとか、人から認められるような生き方をしたから、救われるのではない。

何者かになったから救われるのでもない。

聖書の言葉の通りに生きられるようになったから、救われるのでもない。

ただ、神様の言葉を聞いて、導かれるままに、キリストを求めて捜し、その家畜小屋の戸を開いて入っていったから、羊飼いたちはイエス様を礼拝することができたのだ。

「求めなさい。そうすれば、与えられます。捜しなさい。そうすれば、見つかります。たたきなさい。そうすれば、開かれます。」(マタイ7:7)


このクリスマス、悩みや暗闇を抱えていたり、大きな決断に迫られていた友人たちも、それぞれの歩む道や居場所、召し、霊的成長に導かれいくのを見て、私は心から主をほめたたえている。

私自身に関して言えば、連日の発作や呼吸困難、救急騒ぎが続いた梅雨や夏場を乗り越えた後、抗生物質治療のせいか、発作がぴたりと止まり、起立や座位がキープできる時間が以前より増えた。

そこで、来年50歳になる自分が、複数の難病を抱えながら、これからどのように生きていこうか、少ないエネルギーでできることや目を使わないでできること、寝転がったままできることはないかと色々な可能性を模索したこの数か月だった。

でも、結局は、エネルギー不足、痛みや体調のアップダウンで、何かをやりかけても、クラッシュしてしまい、続けることができないという現実にぶちあたってしまった。



その時、私の目の前に唯一輝いておられたのは、暗闇の飼い葉おけで寝ておられるみどりごのイエス様だった。



「何かを成し遂げなくてもいい。

何者でなくてもいい。

誰かの役に立たなくてもいい。

わたしは、たとえ、お前が何者でなかったとしても、お前を愛しているんだよ。」


そんな風に天からの声が聞こえてきたような気がした。



そう、神様は、ありのままのわたしたちを愛しておられるのだ。

父なる神、子なる神、聖霊なる神。

三位一体の神様が、いつも共にいてくださる。



メリークリスマス!

羊飼いのクリスマスを味わいつつ。


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誰かの苦しみを大きくも小さくもしないで、そのまま受け取ること ~抗生物質8週目の記録 楽しいが苦しい、苦しいが楽しい~ 

抗生物質身のミノサイクリン(100mg 朝晩食後)を飲み始めてから8週間。

9月最初の眼瞼痙攣に対するボツリヌス注射、季節的なもの、ミノサイクリン&ライム病ハーブ薬(Buhner's Protocolのハーブが簡単に手に入るようになった!)というトリプル効果のお陰か、ライム病による全身不随運動が、かなり不調の時でも出なくなった。

毎日ではないが、調子がましな日には数分車椅子に寄りかかって歩行ができる。

ここ2か月で、数回だが、7分くらいか、車椅子を押して歩行を持続できた日もあった。




座位が10分保てる日は車椅子に乗れる。

10分圏内でたどりつけて、到着先で頭を下げられるクリニック、整体、岩盤浴へと行動範囲も広がった。


ただ、相変わらず、症状や痛みが全くないという状態は一秒も(!)ない。



それでも、毎日、「苦しくて何もできない」という状態から、「楽しいが、苦しい。」「苦しいが、楽しい。」という時がたまにあるだけでも、喜びたい。


が!



そうこうしているうちに、排卵期と月経期に、月に2回必ず周期的にがくっと心身ともに悪化する時期がくる。

以前は、月経前後だったのが、今は、排卵でもがくっと悪くなる。

オーストラリアのライム病・CFS医師によると、ホルモンの入れ替わりの時に脳がついていけないこと、PMS前後は低血糖症状や亜鉛不足になりやすいこと、月経前後に免疫が下がるため、ボレリア菌(ライム病菌)が繁殖することが原因として考えられるとのことだった。

夏場に劇悪化するのも、ライム病菌が喜んで繁殖する時期なのだそうだ。


日本の医師にはプレ更年期障害のようなもので、プラセンタ注射(メルスモン)を週1で打っているが、週3回打たないと意味がないと言われた。


ホルモン周期や何かの活動後は、1日から数日、寝たきりにはなり、体も目も固縮と痛み、光・匂い過敏が倍増するが、ライム病発作が起きないだけでも以前よりはましになっている。



2週間に一度の感染症内科クリニックは、タクシーで10分圏内だが、今日は、近所で工事をしていてタクシーが家の前に止められず、近くで停まっているいるから、そこまで歩いてくるように言われた。

頭では、できると思ったが、今日は「できない子」だった!(涙)

5メートル足を引きずったが、立っていられず、車椅子に寄りかかって一度家に戻り、5分頭を下げた。

タクシーの運転手から再び電話。

もう一度トライしたが、また10メートルで立位が保てず、地面に座り込んでしまった。

結局、工事現場の人がトラックを動かしてくれて、タクシーに乗ったが、今度は、クリニックに入る道を運転手が間違えて、50メートル歩かねばならない状況に。

タクシーを降りた状態ですでに足が脱力して一歩も動かず、人通りのある商店街でまた地べたに座り込む。

仕方なく、運転手が降りてきて、車椅子に座らせてくれて、クリニックまで車椅子を押してくれたが、あと5歩でたどりつくクリニックの中まで運んでくれなかったため、そこで置き去りになってしまった。

車椅子から滑り落ちて、地面にまず座り、頭をだらんと下げて、一度休憩。

とにかく、頭を下げないと、脳に血がいかない。

やっとのことで、車椅子に寄りかかって半分立ち上がり、前足に車椅子を装着した犬のように4本足でクリニックに到着した。


医師は、診察室で寝転がらせてくださるし、いつもよく話をきいてくださる。

ライム病の治療のほうは、以前より良くなっていると感じているが、月経周期で悪化すること、相変わらず、頭を長時間上げていられないことを話すと、ライム病と同時進行で、脳脊髄液減少症のほうで、もう一度、まだ漏れているか検査し、治療したほうがいいと言われた。



ホルモン検査と貧血の検査をするため、採血をしたが、血管が細すぎるので恐怖の手首採血。

線維筋痛症のため、時になでられるだけ、風が肌に触れるだけで痛い皮膚に、針をさすので、痛みが脳天に突き刺さるようだった。

でも、看護師が、以前、脳脊髄液減少症で有名な病院2つで研修を受けたことがあり、線維筋痛症のことも知っておられる方だったので、別室で立ち上がれるようになるまで休ませてくださった。


すかさず、看護師さんにそれらの病院での患者さんたちの予後をうかがった。

医師のほうでは、70-80%の人が治癒、軽快化に向かうと言っているが、実際に患者さんたちの話をきくと、何度も何度もブラッドパッチをしている人がおられるのはどうしてかと聞いた。

事故などの外傷でブラッドパッチをする場合は、破れたところをふさげば、よくなる方もいるとのこと。

他の病気を合併していて、ブラッドパッチをしてもまた別の箇所が破裂して脳脊髄液が漏れてしまうというのを繰り返している場合は、治癒を目指すというより、その時その時でブラッドパッチをするなどして、故障するたびに、修理するという感じで、医師と相談しながら治療をしていくしかないとおっしゃっていた。



「慢性疾患や難病というのは、一生お付き合いしていくもの。

神様がどうしてそういうことをされるのかはわからないけど、それでも、与えられた命なのだから、

治療をしつつも、楽しいことを見つけて、なんとか折り合いをつけて生きていくしか仕方ないんですよね。」と看護師さん。


加齢すると、更に、症状が悪化するので、悪化したら、また、医師と相談して対処していくとおっしゃっていた。


やはり、ブラッドパッチをするにあたって、専門医が注意事項として20-30%の人は効果がない、悪化する可能性があるという説明をするため、自分もその30%にあてはまったらどうしようと、、ブラッドパッチをすることを悩まれる患者さんが多いとおっしゃっていた。

実は、脳脊髄液減少症を診ている病院で働いていた看護師さんや入院中の現場の看護師さんの話をきいたことがあるが、早期発見で良くなる人は良くなるし、良くならない人はずっと通院し続けているとのことだったので、これをすれば絶対!という治療法はまだ見つかっていないのが現状なのだと思う。



「がんばってね!

いや、本当は、もうこんなにがんばっているのだから、がんばってって言っちゃいけないのは知っているのだけど、ものすごく辛くて大変な病気だから、応援しているっていう意味でのがんばってだから。」と看護師さん。



優しい人。

優しい言葉。



「自分のタイミングで帰れそうになったら、帰ってね。」



たとえ、治らない難病でも、目に見えない症状や痛みであっても、その病気のことを知ろうとしてくださること、その人の辛さを矮小化せず、共感してくださることが、どれほどの励ましであり、癒しか!

今日もまた、神様からのおもいがけない贈り物をいだたいた。




ちなみに、私が秒速で窒息する励ましの言葉は、「苦しいのはあなただけじゃないからね。」「世の中にはもっと大変な人がたくさんいるのよ。」「あなたなんか、まだましよ!」という言葉。

相手に悪気はないため、励まそうとしてくださった心を受け取る努力をするが、かなり尾を引いてしまう。




人の苦しみは、他の人と比べることができない。

その人の苦しみは、神様とその人だけが知っていることだと思う。

だから、人の苦しみは、大きくも小さくもせず、本人が話すそのままの苦しみとして、「苦しいんだね。」とまずは受け取るようにしたいなあと思う。





テーマ: 医療・病気・治療

ジャンル: 心と身体

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日本初の女医の生涯を描く映画「一粒の麦 荻野吟子の生涯」 を見に行ったのに、愛もへったくりもあるものか~状態になった私たち夫婦 



土曜日の朝早く、むくっと起き上がり、瞬間的にわき出てきたエネルギーに騙されるように、以前から見たいと思っていた「一粒の麦 荻野吟子生涯」という映画を見るために、電車に乗り込み、新宿に向かった。

東京に来てから、電車で通院以外の目的で電車に乗ってどこかに遊びに行くのははじめてのことだ。

ライム病発作(意味不明の不随意運動、硬直発作など)と起立不耐、痛みが激しいため、遠出はほとんどできなかったのだが、抗生物質治療のせいか、発作がピタッと止まっている。




荻野吟子さんは、埼玉県熊谷市出身。

男尊女卑の激しかった明治時代に医学の道を選び、男子学校でのいじめや嫌がらせを乗り越え、それでも、信念を貫き、日本ではじめての女医となった方だ。



「人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛は誰ももっていません。」(ヨハネ15:14)



聖書やキリスト教信仰は、日本における女性解放運動、男女平等、人権、障害者や孤児の人権擁護、性の売買禁止、現代の医療・社会福祉制度、教育、政治にも多大な影響を与えたが、荻野吟子の人生を突き動かす力もまた、イエスキリストであり、聖書の言葉だった。

イエスキリストが、私たちの罪の赦しのために十字架にかけられ、ご自分のいのちを捨てたことにより、断絶されていた神と人類との関係が回復された。

このイエスキリストの救いを受け取り、この聖書の言葉を心に刻んだ荻野吟子は、「自分を甘やかすことなく」、自分の全生涯を社会に虐げられた人々や障害をもって生まれた人々にささげ、彼らの友となったのである。


この映画は、大きな予算を持って製作された映画とは違い、日本赤十字社や各医師会、医療機関、社会福祉団体、難病支援団体、キリスト教会などの後援団体や協賛者の寄付、献金によって製作されたようだ。

エンドスクロールの中に、私も合併している眼瞼痙攣の専門医であり、患者たちに寄り添ってくださっている井上眼科医院の若倉先生のお名前や知っている団体名などもあり、親近感を覚えた。

母校JTJ宣教神学校の進藤龍也先生が牧師役で出演されていたことがきっかけで、この映画のことを知った。



こんなに大きな愛のテーマを扱う映画を見に行った私たち夫婦であるが、、、



行きも帰りも、スマホなし、ナビなしで道に迷い、介助車椅子に寝転がった状態で、新宿の雑踏をぐるぐるぐるぐる。

低血糖状態でアドレナリン放出により、愛もへったくりもあるものか~!という険悪な状態になった。

映画自体は、耳栓、サングラス、マスクをして刺激を最小限におさえ、リラックスして見ることができたが、帰りも、雑踏に入ると脳がチキチキバンバン状態になり、想定内ではあったが、かなり過酷な一日となった。



「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。

人がその友のためにいのちを捨てるという、これよりも大きな愛は誰も持っていません。」(ヨハネ15:12-13)



いのちを捨ててくださって、わたしたちの友になってくださったのはイエス様で、その愛を受け取って、神と人のために生涯を生き抜いた荻野吟子さん。

そんな映画を見たのに、愛もへったくりもあるものか~!となった私たち夫婦。(さすが!笑)




家に着いてから、いつもの暗い部屋で横になっていると、まるで、泥水がコップの下に泥が沈殿していくように、自分の心がクリアになった。



「ああ、イエス様とくーちゃんこそがわたしの友なのだ。」



彼は、たくさんの孤児や障害者の世話をしているわけではない。

でも、症状がアップダウンし、すべてが予測不能な面倒くさい私と生涯をかけて共に生きてくれている。

寝たきりの時期には、食事をスプーンで食べさせ、薬を飲ませ、洋服の着せ替えをし、時にお風呂にまで入れてくれる。

PMS/PMDDの時は、私の毒のある言葉に耐える。

映画が見たいと言えば、重い車椅子押して連れて行ってくれて、道に迷ったくらいで、爆発してしまうような私に付き合ってくれたのだ。



そんな友がこの世にいるだろうか。



「くーちゃん、今日はごめんね。そして、私の友でいてくれて、ありがとう。」

一日の終わりに、そうお礼を言った。

「いいえ。ボク、ごめん。ボク、”イラく~”した。」

”イラく~”とは、”イライラしたくーちゃん”の略であり、彼の造語だ。



この映画を見て、吟子さんのような生き方に強い憧れを抱いたが、「さあ、私もすべてを投げ打って、吟子さんのように生きよう。」とはならなかった。

人には、それぞれ神様から与えられた賜物があり、皆が皆、同じではない。


ただ、私の心に残ったことは、「小さき者」である私の友でいてくれるイエス様と、くーちゃんへの深い感謝の想いだった。



テーマ: 病気と付き合いながらの生活

ジャンル: 心と身体

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秋のある日の小さなプレゼント 



慢性ライム病治療、抗生物質ミノサイクリン5週目。

副作用とへルクスマイヤー反応(菌が死んで血液中にまわることによって症状が悪化する)によって、途中で断念しかけたが、バーナープロトコルと呼ばれるハーブ薬( www.woodlandessenceから日本でも買える )が手に入るようになり、併用し始めてから、なんとなく、もちこたえている。

2010年ごろから苦しめられてきたライム病発作(全身不随意運動や硬直発作)が起こらなくなり、天候、体調、温度、湿度がちょうどいい日には、家の周囲をリハビリ程度だが車椅子を押して歩く練習もしている。

7月、8月は、部屋の隣のトイレにも自分で行けない状態だったのだから、大きな飛躍ではないかと思う。

ただ、秋のせいもあるかもしれないし、眼瞼痙攣のボトックス注射の効果かもしれないので、何とも言えない。



そんなこんなで、木曜日、本当に久しぶりに自分で電動車椅子に乗りこみ、7分先のクリニックに向かった。

その途中、ステキなプレゼントが降ってきた。


「こんにちは!」



小学1,2年生の女の子が、私の横を通り過ぎる時、わざわざ立ち止まって、挨拶をしてくれた。

通りかかりに声をかけてくれたにしては、丁寧にサングラスの中の私の目をのぞき込んで目を合わせての挨拶だったので、「え?知っている子かな?」と車椅子を止めた。

「どっかで会ったっけ?」

「いいえ。」



そこで、ああ、きっと学校の授業か、親の教育で、体の不自由な人には親切にしましょう、挨拶をしましょうと学んだばかりなのだなと察した。

「わ~、ありがとう。声をかけてくれたんだね。」と言うと、こくりとうなづく彼女。

「本当にうれしいよ。握手しよ!」と言って、握手をしたが、それだけでは気持ちがおさまらず、

ハグしよ!と言って、道路で二人でハグをした。

「本当にありがとうね。」

すると、去り際に、彼女が一言。

「大変ですけど、がんばってください。」


クリニックに向かう途中、あたたかくて、優しい涙がだーっとこぼれ落ちた。

小さなイエス様との思いがけない出会いだった。



「愛には偽りがあってはなりません。

悪を憎み、善に親しみなさい。

兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。

勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。

望みを抱いて喜び、艱難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。

聖徒の入用に協力し、旅人をもてなしなさい。

あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。

祝福するべきであって、のろってはいけません。

喜ぶものといっしょに喜び、泣くものといっしょに泣きなさい。

互いに一つ心になり、高ぶった想いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。

自分こそ、知者だなどと思ってはなりません。

誰に対してでも、悪に悪を報いることをせず、すべての人が良いと思うことを図りなさい。

あなたがたは、自分に関する限り、すべての人と平和を保ちなさい。」(ローマ12:9-18)


これは、使徒パウロが、ローマ帝国の支配下にあり迫害されていたクリスチャンに対して書き送った手紙の一部だ。

クリスチャンが互いにどのように愛し合い、助け合って生きていくかについて書かれている。

ちょうど、この日の朝の礼拝で、この箇所を読んだ時、母が、こんなことを言っていた。

「お母さんね、道端で困っている人に声をかけたり、、、あんたが必要な時に呼んでもらえればいつでも手伝いたいと思っているんだよ。

でもね、あんたたち夫婦と一緒に暮らして100%の介護生活をするということは、お母さんにはできないんだ。

そのことで自分なりに心苦しく思っていたのだけど、、、教会の牧師が、自分にできることをすればいいのだと礼拝でメッセージしていたので、ほっとしたんだ。」



神様は、できないことやその人が持っていないものを要求しているのではないと思う。

できることや自分が与えられているものを、それがたとえ、5つのパンと2匹の魚のようなわずかなものでも、神様や人にささげていく時、そのわずかなものを神様が祝福してくださって何倍にもしてくださるのではないかと思う。



年老いた母も、病人の私も、大きなことはできない。

それでも、この小学生が私にしてくれたように、誰もが優しさの川を人の心に流す小さなイエス様になれる瞬間はあるのかなと思う。

神様が、その日、「小さなことでいいんだよ。」そう私に語りかけてくださったように思うのだ。





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嵐の時は、、、 

朝、本州の人は台風を🌀なめているという沖縄石垣島の方のブログ記事を目にした。

洗濯竿や屋外のものを室内に入れるように書いてあり、窓にテープを貼る、予備の電池、食料の確認について書いてあったので、家族と確認した。

家の外の植物を軒下に入れてもらって、これくらいでいいかなと思っていた。

すると、海外ニュースで日本の台風🌀情報が流れていて、ハリケーン級の風と雨だと大騒ぎだったので、今度は、ベランダのものも全部室内に入れてもらった。

ペットボトルやサンダルでさえ、暴風でガラスを割ってしまうのだそうだ。

いかにも被害にあいそうな古い家に近居の母も、我が家に避難している。


全部、防災の準備をやり終わってから、家族で、集合。

少しザワザワする気持ちを落ち着けるため、神様との時間を持った。

台風の被害もそうだが、台風の時、私が救急搬送されることが多いのだ。


今日の聖書箇所を朗読するうち、「ああ、順番が間違っていたね。」と三人とも同じことを神様に示された。



「 さて、彼らが旅を続けているうち、イエスがある村に入られると、マルタという女が喜んで家にお迎えした。

彼女にマリアという妹がいたが、主の足元に座ってみ言葉に聞き入っていた。

ところが、マルタは色々ともてなしのために気が落ち着かず、みもとに来て言った。

『主よ。妹が私だけにおもてなしをさせているのを、なんとも思いにならないのでしょうか。

私の手伝いをするように妹におっしゃってください。』

主は答えて言われた。

『マルタ、マルタ。

あなたはいろいろなことを心配して気を使っています。

しかし、どうしても必要なことはわずかです。

いや、ひとつだけです。

マリアはその良い方を選んだのです。

彼女からそれを取り上げてはいけません 」ルカの福音書10:38-42

イエス様をもてなすために、焦って立ち働くマリアとは、対象的に、イエス様の御言葉に耳を傾けることを最重要事項としている妹のマリヤ。

イエス様は、事態に慌てて心を乱すより、神様の言葉を慕い、祈ることを第一にすることを教えておられる。


「順番が逆だったね。

まず、祈る!

それから、するべきことをする。」


そんな分かち合いをしたあと、ふと、昨晩、人間関係の嵐の中で悲しみにまかせて発した言葉と行いを思い出した。

「ああ、少なくとも、まず最初に祈って、神様のみことばに触れられてから、話すべきだったな」と悔い改めた。

症状の嵐、人間関係の嵐、制度の谷間にある難病患者としての嵐、人生に起きてくる近しい家族や友人に巻き起こる嵐、家族との死別、、、そして、明日直撃する嵐、、、


イエス・キリストの御名前によって祈る。

「嵐よ、静まれ!」

被害が最小限におさえられ、日本が守られますように。

人生の嵐の時も、イエス・キリストの船の上にいることを覚えて、神様を信頼できますように。



先程、臨時で訪問看護師に点滴を打ちに来ていただいた。

昨年は、まさしく嵐の中、救急搬送になり、搬送先で病名が問題になり、処置が遅れるなどの辛い経験をした。

同じ失敗を繰り返さぬように、台風直撃前に、点滴をお願いしたのだ。

辛ければ、日曜日の午後、また来てもらえることになっている。



人生から嵐が消えることはないだろう。

でも、人生の嵐を静めることのできる神様、そして、たとえ、嵐が過ぎ去った後も、立ち上がる力を与えてくださり、壊れた部分を優しく癒やし、建て直してくださる神様に期待しつつ。


PS 皆さんの無事をお祈りしています。

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「あなたは建て直される!」 

まだまだ神様を信頼しきれていない自分と対峙しつつ、これまで、神様のしてくださったことを走馬灯のように思い出す時、ああ、これからの人生でも、また神様がすべてをよきにしてくださると思えてくる。


10月1日は、私の信仰告白記念日。

イエスキリストを救い主として心にお迎えした日。

そして、2006年、10月15日に、入院先を少し抜け出させていただいて、洗礼を授った。


「では、どう言っていますか。

『みことばはあなたの近くにある。

あなたの口にあり、あなたの心にある』

これは私たちの宣べ伝えている信仰のことばのことです。

なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえられせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。

人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。

聖書はこう言っています。

『彼(イエスキリスト)に信頼する者は、失望させられることがない。』」(ローマ10:8-11)


毎週、日曜礼拝に出席している、きちんと献金をしている、聖書の教えを守っている、罪を犯していない、、、

はたまた、良いことをしている、人のために役立つ生き方をしている、鍛錬して修行している、、、

そういう人が救われるのならば、ちんちくりん(?!)な私は、救いからはこぼれ落ちていただろう。



でも、そうじゃない。

弱くて、ちんちくりんで、取るに足らない、失敗の多い愚かな私を神様は、救ってくださったのだ!



「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。

それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。

行いによるのではなりません。

だれも誇ることのないためです。」(エペソ2:8)



上へ上へとこの世の成功、この世の富を目指すことで、自分の中の空洞やむなしさを満たそうとしていた昔の自分の人生は、何かあれば、すぐに崩れ落ちてしまうような砂の上に建て上げられた家のようだった。

でも、今は、イエスキリストという岩の上に建て直されている。

今も尚、いびつになっては、整えられ、足りない部分が補充されている。

「世話がやけるなあ、おめえは!」とイエス様が言っているかはわからないが、霊的大工であるイエス様が、私をせっせこ、せっせこ建て直しておられるのだ。





愛のない自分、神様に従えない自分に、「わたしは、もうダメだ~~~!と何度となく、絶望したこともある。



でも、神様は、その度に、建て直してくださった。


「永遠の愛をもって、私はあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに誠実を尽くし続けた。おとめ、イスラエルよ。わたしは、再びあなたを建て直し、あなたは建て直される。」という神様の言葉は真実だった。



悩みがないわけではない。

クリスチャンになると、すべてが薔薇色になるわけではない。

そして、これからも色々あると思う。

でも、私は、イエスキリストの岩の上に建て上げられているのだ。


「だから、わたしのこれらのことばを聞いてそれを行う者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ち付けたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。」(マタイの福音書7:25)




「どんな境遇に遭っても満ち足りていることを学びました。」と常に言えるわけではない。

それでも、いい時にも、悪い時にも、神様の愛と祝福は変わることがなかった。

どん底にある時にも、神様の御言葉と祈りがいつも、私を満たし、引き上げてくださるのだ。



「どんな境遇に遭っても満ち足りていることを学びました。

私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。

また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。

私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」(ピリピ4:11-13)









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決断への道のり(2) 続きがあったんかい! 

日本では得られないライム病薬の処方箋をいただくため、そして、10年ほどやっていたシェアハウスの運営を閉鎖するため、シドニー行きを決意したのもつかの間。

一つの決断には、多くの別の決断が押し寄せてくることに、後になって気付く。


まず、車椅子搭乗のことを知らせるために、カンタス航空に連絡すると、国内線待ち時間が車椅子利用者の場合、30分多く取らねばならず、予約したものでは、帰りの乗り継ぎ便に乗れないことが判明。

航空券を一度、キャンセルして取り直しとなった。

車椅子利用者の場合、事前に車椅子のサイズなどを航空会社に知らせて、段取りをしておく必要があるが、私が東京都に支給していただいた電動車椅子は、カンタス航空の国内線には乗せられない。

羽田空港着だとタクシーで20分、30分で家に着けるが、

帰りの便は、一度だけブリスベンで乗り換えがある上、帰りは成田着になり、これ自体も不安材料。



この時点で、「あれ?神様に止められているのか?」と思い、咄嗟にすべてキャンセルしちゃおうかなと思ったが、「では、この決断にいたるまでの、あの一連の祈りと神様の導きは何だったのか。」と思いとどまり、保留になった電話口でとりあえず、ブツブツお祈りをした。



そこで、オペレーターが次に出た時、カンタス航空側に、オーストラリアに日本では処方してもらえない薬を専門医に処方してもらうために渡豪するという事情と、長時間頭上げられないこと、しかも、当日乗れる体調であるかは当日にならないとわからないことを説明した。

すると、チケットを無料で仮予約でおさえてくださった。

10月2日までに決めて本予約をするということになり、チケットは、当日キャンセルでも、医師の診断書があれば、キャンセル料も免除できる可能性もあると言ってくださったので、少し猶予ができた。

当日、搭乗できても、空席があれば、頭を下げられるように乗務員の判断でできるかもしれないというお心遣いもありがたかった。



この時点で、飛行機に乗れるかわからない、自分の電動車椅子は無理、滞在期間も、主人と一緒に行って、一緒に帰ってくるのか、私だけ、主人のクリスマス休暇までシドニーに滞在するのか、はたまた、2月末から3月までの主人の春休みまで滞在するのか、シェアはうすを売るのか、リースするのか、、、


このことについては、引き続き、祈り続けているが、日曜礼拝と聖餐式が終わった直後、もうすぐオーストラリア旅行に行く友人が家に寄ってくれた。

決めることが多くて、困っていると話すと、彼女も、旅先でのアクティビティで、どこに行くか、何をするかを計画しているが、色々決められずにいると話しているのを聞いて、正直ほっとしてしまった。


小さなことさえ決められない自分を知らず知らずのうちに責めてしまうが、ME/CFS & Lymeの啓発イベントを手伝ってくれていて、病気に理解のある彼女が、「体内がインフルエンザのようにだるい状態で、しかも、体に痛みがあるのに、何かを決断しろと言われたら、私だって無理ですよ~。」と言われたことで、急に肩の力が抜けた。


帰りに、彼女の旅の安全と守りを祈った時、私はこんなことを言っていた。

「主よ、**ちゃんとご両親との旅行を祝福し、彼らがいるところ、どこにおいても、あなたがともにいてくださって、彼らを守り、楽しい旅になるように導いてください。

そして、何か困ったことがあった時には、**ちゃんが神様に祈り、より頼むことができますように。

『互いに愛しあいなさい』というあなたの御言葉の通り、**ちゃんが親孝行ができますように。」


祈っているうちに、自分の中で何かすとんと落ちた。

この祈りこそが、神様が私に語りたいことだったのかもしれない。

「強くあれ。

雄々しくあれ。

恐れてはならない。

おののいてはならない。

あなたの神、主が、あなたの行くところどこにでも、あなたとともにあるからである。」(ヨシュア記1:9)

カナンの地に入るイスラエルの民率いるヨシュアに語られた神の言葉である。


この御言葉から、「よし!信仰をもって、進もう!」と力を得ることもあるが、今回、受け取ったのは、「どっちでもいい」という答えだった。


シドニーに行っても、行かなくてもいい。

短い滞在でも、長い滞在でも、どちらでもいい。

車椅子のことも心配するな。

家のことも、心配するな。



最も大切なことは、「あなたの神、主が、あなたの行くところどこにでも、あなたとともにあるからである。」ということを覚えていることなのだ。

インマヌエル

訳すと、神は私たちと共におられる。




人間というものは、自分にとって一番いい結果を求めて、右往左往したり、ああすれば、こうなる、こうすれば、ああなると頭で想像しては、不安や恐怖で前に進めなくなる生き物。

でも、私が行くところどこにおいても、主が共にいてくださるなら、万事がOKなのだ。


結局、この神様とのやり取りの後、今週、2人の感染症内科の医師の受診を受けた。

一方は、1年半前は、出せないとおっしゃっていた医師が、オーストラリア、ライム病医師の処方箋を見せて説明すると、長期的な抗生物質を1種類なら出せると言ってくださった。

ライム病患者での経験はないが、リッケチアなどの感染症で、抗生物質治療をしても治癒しない、症状が残っている場合、治っているかどうか検査ができないので、大学病院のほうで、抗生物質を長期的に出すことがあるそうだ。

耐性菌を殺すために、もう一つの薬を点滴で打つことは理論的には可能だが、そこのクリニックでは無理なので、協力してくれる医師がいれば、指示は出せるとおっしゃっていた。

もう一方の医師は、長期的抗生物質をしても、他の問題が発生したり、飲むのをやめると病態が再発すると聞いているので、ハーブ薬や対処療法で少しでも楽に暮らせる道を見つけていくようにということだった。

正直、オーストラリアライム病医師も、この二人の医師も、皆が正しいことを言っているように思った。

色々なケースがあるというのが、実際なのだ。



そうこうしているうちに、何故か、国内線に乗せられる折り畳み電動車椅子も、現在乗っている電動車椅子を購入した会社に使っていないYAMAHAのダウニーがあるというので、1か月のレンタル料金ほどの値段で譲っていただいた。

使用後は、日曜礼拝に来る足の不自由な友人にお貸しするつもりだ。



また、オーストラリアの医師に連絡すると、万が一、私が来られなくても、主人さえ代理で行けば、スカイプ診察で薬を処方してくださることになった。


まあ、本当に、行っても、行かなくてもいい、

短期滞在でも、長期滞在でもいい、

車椅子も用意され、

家もリースすることになりそうだ。


後は、当日、どうなるかは、神のみぞ知る!


私は、神様を愛する人たち、神様を求める人たちと、神様を賛美して歌を歌ったり、礼拝をしたり、聖書を読んでお祈りさえできれば、どこにいてもいい。

どこに行っても、何をしていても、私の罪と咎を十字架で赦してくださった神様がともにいてくださるなら、それが一番いい。



それが私の幸せなのだ。








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現在行っている慢性ライム病治療と感染症内科の受診 



数年前に、Igenex社の血液検査により、慢性ライム病が判明した後、日本に帰国し、短期抗生物質ドキソサイクリンを2週間摂取した。

その後、バーナーズ・プロトコル(Buhner's protocol) と呼ばれる自然治療を行い、続けて、10か月に及ぶハーブ薬治療(Cowden Protocol カウデン・プロトコール)をつい最近終えたところだ。

ハーブ薬を厳密にやっていた時は、何も治療効果がない、むしろ、悪くなった!と思っていたが、実は、最近、ハーブ薬治療が終わってみて、少しは効果があったのかなとは感じている。

ぴきんぴきんと点在していた痛みはなくなり、ライム病発作の頻度が以前より軽減したようにも思える。

秋になって涼しくなったおかげか、瞼のボトックス注射を突き刺さる痛みになる前に早目に打ったせいか、はたまた、ハーブ薬の治療効果のせいかは、わからない。



カウデンプロトコールは、本来、治るまで続けるのだが、9月に入って、一度休憩して、オレガノオイル、ガーリックオイル、オリーブ葉エキスなどの複数のエッセンシャルオイルのカクテルで菌を殺している。

これは、海外のライム病患者会で良くなった方が、抗生物質やら、何やらやったが、オレガノオイルが一番効いたと書いてあったからだ。

また、10種類のエッセンシャルオイルが試験管内のライム病菌を殺したというライム病関連記事を読み、そのうちの数種類を選んで飲んでいる。

オレガノオイルやオリーブ葉エキスは、腸内カンジタ菌撲滅にも効果がある。



腸内カンジタ菌(カビ)撲滅と機能性低血糖症の治療としては、小麦、アルコール、砂糖、乳製品、炭水化物を避け、鶏の胸肉や魚などのたんぱく質、葉野菜、海藻中心で、どうしても炭水化物を食べたい場合は、少量の玄米を食事の最後に摂るようにしている。

食間の空腹の場合は、甘いものやお菓子類ではなく、煮干しをポリポリよく噛んで食べる。

ナッツ類もいいとされているが、私の場合は消化ができない。


今年は、発作に次ぐ発作で、史上最悪の梅雨から夏だったが、オーストラリアの慢性ライム病専門医にスカイプ受診し、指示書に書かれた栄養素も取り寄せた。

玄米でつくられたAMINOPLEX(アミノ酸パウダー&乳酸菌&解毒ハーブ)に、キャッツクロ―、セレニウム、ビタミンC, ビタミンB群、ビタミンD3、コエンザイムQ10、Lカルニチンなどを入れている。

一番効くと感じているのは、Nature's Answer, 液体ビタミンB-複合剤、 自然なタンジェリンフレーバー、 16液量オンス (480 ml)   2219円な~り。

エネルギー補給として、コエンザイムQ10とLカルニチンの入った液体サプリ。MRM, COQ-10 with L-Carnitine, Orange-Vanilla, 100 mg / 1,000 mg, 16 fl oz (480 ml) 1863円な~り。



軽い逆流性食道炎は、チャーコール(炭)を昼食後1時間、食前3時間くらいに摂取することで、ガスが吸収され、そこから来る不快感は軽減した。(2週間程度)

また、日本の主治医に、寝転がりながら食べず、リクライニング椅子で食べる、食後すぐに寝転がらない、ゆっくり噛んで食べる、食べた後、1時間はなるべく動くように言われたので、なるべく守るように心がけている。


PMS/PMDDに関しては、慢性ライム病専門医に、亜鉛とCopper(銅)のバランスが悪いと起こりやすいと言われたので、亜鉛100mgは摂取。

PMS/PMDDの時期の機能性低血糖症状は、煮干しとアミノ酸パウダーで少し軽減した。 



7月、8月の1分も頭を上げていられない全介助の状態から、半介助になると、本人や家族としてはだいぶ良くなった!という感覚になる。

脳脊髄液減少症のせいか、頭は、やはり一度に10分も上げていられず、5分、10分おきに、頭を下ろさないとかなり苦しくなる。

それでも、先週の土曜日から、電動車椅子で5分先の整体に自分で行けるようになっているし、涼しくて暗ければ、家の周りを杖歩行ができるようになった。


ここ1週間、最後の悪あがきで、なんとか、シドニーに行かずとも、長期的な抗生物質治療、また、耐性菌やバイオリルム化した菌を殺すため、複数の抗生物質の同時処方をしてくださる医師を探してみた。


まず、数年前に行った感染症内科を受診し、オーストラリアライム病医師の処方箋を見せ、同じものは無理でも、これに近い薬を出してもらえないかと聞いてみた。

リッケチアなどの患者が、抗生物質を飲んだ後も、治っているのか、治っていないのかわからず、それを検査することもできないので、症状が消えない場合、長期的に抗生物質を処方するケースもあるとのことだった。

また、耐性菌対策として、2種類くらい出す場合もあるとのこと。

なんとかお願いして、ドキソサイクリンだけでも出してもらえないかとお願いすると、ミノサイクリンなら出せると処方していただいて、さっそく服薬している。


当然のごとく、胃腸の調子は悪化するし、抗生物質を飲めば、いい菌も死滅するので、乳酸菌をかなり摂取している。


セフトリアキソンは、ライム脳炎が起きている場合、点滴をする抗生物質だが、1週間毎日かかさず打たねばならず、このクリニックでは対応できないということだった。

ただ、協力してくれるクリニックを探せば、そこと連携して打つことはできるかもということだったので、光が差し込んだ。



次に、海外からの持ち帰り感染症を診ている東京都にあるK病院の総合感染症科を受診した。

他のライム病患者さんがすでにトライして、長期的治療はできないという結果だったが、やっと、先週あたりから車椅子に乗ることができるようになったため、ダメ元で診察をお願いした。

やはり、長期抗生物質の使用はしていないということだったが、実際に苦しんでいる「慢性ライム病」患者がいることは事実だとその医師は、おっしゃっていた。

海外で感染した方が長期抗生物質を年単位で行っても、あまり、いい結果を聞かない、飲んでいる時はいいが、やめると再発するという話をきくので、ハーブ薬などで根治せずとも軽快化したり、出てくる症状に対処して少しでも楽に過ごす方法を見つけるしかないということだったが、このセンターでそのような治療もしていないということだった。

だいたいアメリカからのライム病持ち帰りの患者さんが1か月に1度くらい先生のもとを訪れるが、日本にもライム病があるのは事実だとおっしゃっていた。

どちらにしても、米国CDC基準の検査では、信頼性のあるライム病検査が確立されていないため、陰性でも陽性だったり、陽性でも陰性の場合があるなど結果があやふやなところは認めておられた。


慢性ライム病と共感染症の問題は、私個人が動いてどうにかなる問題ではない。

ライム病患者団体や患者たちが、WHOを動かし、アメリカCDCライム病診断基準を、International Lyme and Associated Diseases Society (国際ライム病&関連疾患協会https://www.ilads.org/)の診断基準に塗り替えない限り、変わることがない問題なので、もっと大きな「うねり」が必要となる。

アメリカでは、以前より、ライム病菌がロシアとの冷戦時代に生物兵器としてニューヨーク州近くのプラムアイ島で、研究、培養されていたことを調査する議決も可決されていて、国家レベルの問題でもある。



今回お会いした医師は、こちらの話を頭から否定することもなく、よく話をきいてくださる医師だったので、

海外の慢性ライム病患者会の人たちが長期抗生物質治療と代替治療の組み合わせで社会復帰した人たちもいるということ、

ライム病患者の約半分が筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群(ME/CFS)やFM(線維筋痛症)、鬱病と診断されていたという統計結果(Lyme.org)についても話した。

日本では、ME/CFSの国際的診断基準では、ライム病が除外診断に載っているのに、ME/CFS診断の前に、ライム病を調べる術がない話もさせていただいた。

(これは、ME/CFSの医師のせいではなく、今のところ、ライム病検査自体が日本で簡単にできない、ライム病が日本では珍しい病気と思われているのが問題!)



ドイツのハイパーサーミア療法(温熱療法:全身麻酔で体温を41.6度にして菌を殺す)や長期抗生物質、ハーブ薬などで劇的に回復する人たちがいること、

厚生労働省に信頼性のあるライム病検査の必要性について話をしに行ったが、「患者さんやご家族が感染症学会に訴え続けて、啓発していくしかない。」と言われたことなどをお話させていただいた。


「最後に3分だけください!」とお願いして、慢性ライム病啓発動画も見ていただいた。


私の場合は、脳脊髄液減少症もあるので、典型的な慢性ライム病患者ではないのかもしれないが、動画を見られた後、「CFSの人には、不随意運動がある人が結構いますよね。」とおっしゃっていた。

小児病棟に以前おられて、CFS患者を診たことがあり、筋痛性脳脊髄炎という病名も知っておられた。


長期抗生物質治療ができないのは、承知の上で、念の為受診したのだが、思いがけず、先生の口から「慢性ライム病」という言葉が出てきたのは驚きだった。

筋痛性脳脊髄炎、脳脊髄液減少症、眼瞼痙攣などの病名も全部知っておられる医師だったので、主治医にはなれないと言われたが、病歴を話すだけで、カウンセリングを受けた後のような「癒し」を経験した。


行って本当に良かったと思う。

医師には医師の流派やその病院全体の方針があるので、こちらの思い通りに処方ができない場合もあるし、現在、尚も論争が続く慢性ライム病について、誰かが「これ!」という答えを持っているわけではない。

ただ、色々な医師のお話をきくことで、日本の現状を知り、情報を集めることもできるし、自分の治療方針に役立てることができる。

「主治医が見つかる診療所」なるものは、市民権のない病気を持つ患者には存在しないが、それでも、患者の話をよく傾聴して、訴えている症状を信じてくださる医師に巡り合えることは、多くの医療機関で傷ついた私たちのような患者には、オアシスのように感じるものだ。






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平和の計画 

「まことに主は仰せられる。

『バビロンに70年の満ちる頃、わたしはあなたがたを顧み、あなたがたに私の幸いの約束を果たして、あなたがたをこのところに帰らせる。』


わたしはあなたがたに立てている計画をよく知っているからだ。

―主の御告げー

それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。

あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。

もし、あなたがたが心を尽くして私を捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。

わたしは、あなたがたに見つけられる。

主の御告げー

わたしはあなたがたの繁栄を元通りにし、わたしがあなたがたを追い散らした先のすべての国々とすべての場所から、あなたがたを集める。

―主の御告げー

わたしはあなたがたを引いていった先から、あなたがたを元のところに帰らせる。」(エレミア書29:10-14)








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決断までの道のり 




「 あなた方の中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は誰にでも惜しげなく咎めることなくお与えになる神に願いなさい。

そうすればきっと与えられます。

ただし少しも疑わずに信じて願いなさい。

疑う人は風に吹かれて揺れ動く海の大波のようです。

そういう人は、主から何かをいただけると思ってはなりません。

そういうのは二心のある人でその歩む道のすべてに安定を欠いた人です。」(ヤコブ1:5-8}

人生は決断の連続だ。

昔は、何かをどんどこどんどこ決めて、自分勝手に突き進んでいたが、

クリスチャンになってからは、お祈りして、その決断に対する導きを待つ。


これまで、何度も何度も、神様とのやり取りの中で、見切り発車をして失敗したり、遠回りをしたり、ストレスに押しつぶされて、イエス様の道とは違う明後日の方向に突き進んでしまったりしたこともあった。

今は、モーセの目の前に立ちはだかる紅海が分かれて、ぱっと道が開かれる時まで、もしくは、轟々と流れるヨルダン川がせき止められる時まで、暗闇に光が差し込む時まで、忍耐をもって神様の導きが来るまで、祈り続けられる時も出てきたかなと思う。

時にそれは一瞬の奇跡のように起こる時もあれば、時に、一つずつ踏むべき石が目の前に置かれて、一歩一歩ということもある。

神様は、私たちを愛するだけでなく、私たちを喜び楽しんでおられる。

私たちが聖書の御言葉(神様の言葉)を霊的食物として食し、霊的呼吸である祈りをささげるとき、神様の御霊である聖霊が働かれる。

神様は、私たちの霊をイエス・キリストに似た者に造りかえてくださる。

そればかりか、私たちが決断する時も、私たちの祈りを聞かれて、状況を変化させ、人を動かし、聖霊の導きによって、誘導しなさって、一つの方向を示してくださるように思うのだ。



私の最大の祈りは、私の心が、人生が神の国と聖霊に満たされていること、神様のみ心がなされることだ。

ところが、時に、莫大な医療費と治療の行き詰まりが心を支配することがある。

週2回の訪問看護、呼吸困難やライム病発作時の救急看護、点滴代、注射代、徹底的食事療法、サプリ、慢性ライム病ハーブ薬、眼瞼痙攣のボトックス注射、整体、、医療費がかさむ割には、根治にはつながっていない。

また、治療や福祉の助けが必要でも、外国人の夫は難しい日本語がわからず、母も80歳にもなれば、色々と抜け落ちることもあり、私は認知機能障害で混迷して決断ができない。

また、シドニーのシェアハウス運営も、病状が悪化する中で、入居者入れ替えの時期や修理の要請でPCの使用を余儀なくされるため、一連の業務が難しくなっている。

15年間育てた言語学校を売却した時と同様に、また、一つ、握り締めているものを手放す時が、来ているのかもしれない。



慢性ライム病専門医がシドニーにいることで、シドニーに戻るべきかと神様に導きを求めている時もある。



「 全ての思い煩いを主にゆだねよ。そうすれば、あなたがたの主が心配してくださるからだ。」

「何も思い煩わないであらゆる場合に感謝を持ってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えに勝る神の平安があなたがたの心と思いをキリストイエスにあって守ってくれます。」( ピリピ人への手紙4:4-7)

思い煩いの克服と神様への絶対的な信頼は祈りによって与えられる。

だから、思い煩ってるなと思う時やウダウダ悩み始めた時は、すぐに中断して、祈るようにしている。

「求めなさい。そうすれば、与えられます。」(ルカ11;9)

求めるべきものは、神様がどうされたいのかという神のみこころであり、聖霊であり、神の国の国と神の義だ。

でも、具体的に心を注ぎ出し、必要が満たされるように祈ることで、神様とのやり取りの中で、霊的に成長させていただける。



神様はまことに生きて働かれるお方。

今回もまた、祈り続ける中で、物事が動き始めた。


福祉の導き手として、神様は新しいケアマネを与えて下さり、積もりに積もった問題が一つずつ処理され始めている。

経済的な問題に関しては、医療費の助成が受けられることになった。

同時期に、シェアハウスの住人が9月末で退去するという連絡があり、そこでも、物事が動き始めた。

シェアハウスを閉じるチャンスかもしれない。

そんな折に、フィンランドから慢性ライム病映画を撮影中の映画監督が取材をしに自宅/教会にやってきた!

「サウナのあるところ」という映画の舞台挨拶で来日しておられたのだが、
監督ご自身が慢性ライム病だ。

監督も、原因不明の症状のゆえ、数えきれないほどの医療機関の検査と診察を受け、5年後、はじめてライム病を含む11種類の菌や寄生虫、ウイルス感染が判明。

発病当初にマダニに咬まれた覚えも、赤い輪っか上の皮膚症状もなかったが、診断後、子供の頃に森林で駆け回っていた事、頭に吸い付いたマダニを素手で引っこ抜いていたのを思い出したそうだ。

その後、ドイツのハイパサーミア(複数の抗生物質治療をしながら、全身麻酔をして体温を41.6度以上に上げ、ライム病菌を死滅させる)療法を行い、一度は回復するも、バイオフィルム化した菌は死滅しておらず、徐々に再発。

現在は、ドイツのライム病センターとフィンランドの医師が連携して、5種類の抗生物質を11か月前から飲み始め、4,5か月後から軽快化し始めた。

複数の抗生物質のカクテルは、短期抗生物質で死なないバイオフィルム化したライム病菌や耐性菌を殺すことがわかってきている。

海外でも日本でも一般的な医療者には認められていない治療で医師免許剥奪の危険があるが、実際に良くなっている人を目の前に、希望が見えてきた。

この一連の祈りと導き、出会いによって、オーストラリア行きを決断した。

シェアハウスの後始末をすること、慢性ライム病治療の処方箋をいただくことが神様からの答えだと受け止めた。

実は、9月から、ぼちぼちと友人やハウスチャーチの仲間が家に来てくれるようになり、そこにもヒントが散りばめられていた。

シドニー時代の元シェアメイトが3泊5日で家族でシドニー旅行をすると言うので、短期でシドニーに行って日本では出してもらえない抗生物質や抗カビ薬を買ってもどってくるという手もあるなと思ったのだ。

また、他県から遊びに来てくれた友達が温泉に連れて行ってくれると言うと、主人が急に!10月に1週間休みがあると言い出した。

え?そういうの早く言って!と苛ついたが、2分でゆるし(笑)行くならその時かなと日程を決めた。

日付が決まり シドニーの仲間達に連絡をすると、友達が、 一週間とは言わず何ヶ月いても世話をしてあげるから安心しておいでと言ってくれた。

どちらにしても、着いてからの体調次第で滞在期間はまた祈りながら決めるつもりだ。

2千円で予約はしたが、料金は支払っていないので、最悪、私が飛行機に乗れなくても、主人一人で行ってもらって、スカイプ診察で薬をゲットしてもらうことになる。

そんなさなか、 筋痛性脳脊髄炎、線維筋痛症、脳脊髄液減少症を患っているモデルであり、ご当地タレントの塚本明里さんが 「ザ!世界仰天ニュース」に出演された。

激しい倦怠感、全身の激しい痛み、頭を30分以上上げていられない起立不耐性という私と同じ症状があるが、脳脊髄液減少症治療のブラッドパッチをしたことで、以前より全身40箇所の注射の回数が減り、いい方向に向かっていると聞き、そこにもまた希望を見出すことができた。

私も、ブラッドパッチを数回しよう、そう思えた。



大きな決断は健康な人でも、慎重になり、色々な側面から決めていく必要があるだろう。

認知機能障害と、その日、その時、その瞬間の 体調が 異なり 急変する 私のような者にとって 決断は 最も難しい。

決断しても、想定外のことが常に起こるからだ。

夜ご飯を何にする?と聞かれるだけで 答えが見出せず、「わかんない」と答える私が、人生の大きな決断や 治療方針などを右から左へと決められるはずがない。

どうしてそんなに迷うんだ!どうしてそんなに決められないんだ!と自分を責めている 時もあるが、 認知症のご老人に記憶がないことを責めることができないように、短期記憶力や思考力、決断力が低下している自分自身を責めるのは もうやめたい。

認知機能障害がある私でも 分からないことを神様に祈ることはできる。

予測不能な症状が出て、想定外の状況になったら、また祈ればいい。

人生の地図は 私には読めない。

でも、神様は 地図を描いておられるお方、導きを与えてくださるお方。

人生のナビゲーター。

その方を信頼し、より頼んで生きていくなら、最善が与えられると私は信じている。





テーマ: Health

ジャンル: 心と身体

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何か地球上のものではない謎の生物(?!)になった私と神様の沈黙 

今週になって、自分で歯磨きやトイレもできるようになり、家族もほっとしている。

7月は、連日連夜の発作や呼吸困難、意識が薄くなったりで、訪問看護と救急看護が合わせて14回出動、8月大半は、歯磨きから、食事、トイレ、、、全介助状態。

朝、歯磨き粉をつけた歯ブラシを布団まで持ってきてもらい、一応、自分で磨くが途中で意識が落ちてしまったり、

ライム病ハーブ薬の後30分食事を待たねばならないため、そこで、低血糖状態になり、また意識が落ちて

救急になったりと、、、家族もドキドキひやひやの毎日だったと思う。




とにかく、地球上では生息できない謎の生物になったのだということで!



それを何かの動物にたとえようと、「高温多湿で生息できず、夜行性で、夏の間、冬眠し、地に這っている生物ってなんだっけ?」と、クーちゃん(主人)に聞いたら、「It's you!(お前だ!)」と言われた。(笑) 



水族館に行くと、そういう生物もその特色に合わせて室内温度や光加減とかも調節してくれる。

「そうか!ここは、水族館なのだ!私は、暗い水槽に入れられて、餌を食べさせてもらっている何かの新しい生物なのだ~。」と思うことにした。

神様に創造され、神の子とさせていただいるクリスチャンとしては、かなり終わっている発想であった!



ただ、、、もう人間ではないのだ、この惑星では生きられない何か違う生き物に進化(?!いや、退化だな、これは)したのだと思うと、少し楽になったのは事実だ。

(宇宙人?!缶コーヒーでも飲んでろってか?!)




高温多湿が無理なので、冷房をぎんぎんに冷やして、シャッターを閉めた暗い部屋でご飯を食べさせてもらったり、水をストローでチューチュー吸っていた。

チリやヒューゴが死ぬ直前に私がしてあげていたことを、母とくーちゃんがせっせこせっせこしてくれた。



急降下してから、外気に触れたのは7月末に一度だけ。

障害者手帳の等級を変更するために、どうしても、7分先のクリニックに行かねばならず、サングラスの上に、溶接用サングラスをして、部屋から抱きかかえられて、ストレッチャー車椅子に乗せられ、クーちゃんと母とケアマネ3人がかりで7分の温風の旅!

母やケアマネが氷で体を冷やしたり、日傘をさしたりしてくれていたが、

呼吸が苦しく、固縮も始まり、ストレチャーの上で、全身不随運動。

何度もストレッチャーからずり落ちそうになり、止まっては、落ちないように抱きかかえられて座り直し。

皮膚の過敏性で太陽の熱だけで、皮膚表面が激しく痛んだ。



クリニックでは、完全に硬直した。

医師も測定不能なところを手を握るだけで握力を予測したり、マネキンのように固まる私を優しく動かしながら、「ごめんな、ごめんな。」と言いながら、なんとか測定してくださった。



手を握られた時、「はい、もう離していいよ~」と数回言われても、自分の意志では手が動かない。

あまりの気まずさに耐えられず、思わず、硬直してとがってしまった口びるの隙間から、「先生、わたし、痴漢をしているわけじゃないよ!」と言ってごまかした。



光がダメで、PCも携帯もきついから、人との連絡は、糸電話?!とテレパシー?!(全く相手には届いていないという、、、笑)



ケアマネが、介護ベッドのレンタルを手配してくださったが、

業者の方のオーデコロンなどの匂いでむせこんでしまい、ひとまず、全員一度退室してもらった。

くーちゃんに別室に抱きかかえて運んでもらい、ベッドが設置するまでそこで待機した。


でも、結局、起立性頻脈と低血圧で、頭を上げていられないため、介護ベッドのリクライニング機能が役に立たずに、返却。


今年は、輪をかけてすさまじかったとはいえ、2012年から日本に移住してきて以来、日本の梅雨と夏季の絶不調は何度も経験していることだから、秋になればきっとまた、”いつもの具合の悪さ”に戻るとは思っていた。



イエスキリストを信じる信仰ゆえに与えられた、永遠のいのちあるゆえ、死ぬことは特に怖くない。


「見よ。神の幕屋が人とともにある。

神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。

また、神ご自身が彼らと共におられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。

もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。

なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」(ヨハネの黙示録21:3-4)



むしろ、痛みや苦しみ、悲しみのない世界、ただ、愛だけが存在する神の国に引き上げられることに希望をもって、生きている。

それでも、意識が薄れていくと、この世にいる間に、もう一度会いたかったなあという人たちの顔が目に浮かび、涙がこぼれた。



そして、私は本当に弱くて自分中心の生き物だ。



洗濯機に入れられて、ぐるぐる回されて、もみくちゃにされたり、

コンクリート詰めにされて息ができないような状態が

来る日も来る日もこれでもか~これでもか~とやってくると、、、

あまりの痛みと息苦しさに、「治すのか、殺すのかどちらかにしてくれ~い!」と天地、宇宙、自然、そして、生けるものすべてを創造された神様に向かって、たてをつく。

被造物の分際で、陶器が陶器師に「おい、お前、なんとかしろよ!」とえばって言っているようなものだ。

自分のいのちは、神のものであり、私は、イエスキリストとともにこの世に死に、永遠のいのちをもって、新しく生まれ変わった者であることはわかっていても、、、、どうしても、、、「もうこの壊れた古い体いらね~~~」となってしまう。(笑)






まあ、色々悪態はついたような気がする。(笑)





神様は、そんな私に、しばらく、沈黙しておられた。





8月20日に秋雨前線がやってきて、夕立があった時、急にむくっと起き上がることができた。

気温が下がったのだろう。

発作の回数が減り、全く頭を上げていられなかったのが、部屋の隣のトイレに数歩歩けたり、、、

次第に、2階に手すりにしがみついて上れるようになると、時々家族と一緒に寝転がりながらだが、ご飯を食べられるようになり、、生活に変化が見えだした。



もちろん、坦々と他の努力も続けていた。

砂糖、小麦粉、乳製品、アルコールを避け、カンジタ菌やイースト菌に餌を与えないようにした。

緑黄色野菜とタンパク質中心の玄米がゆで機能性低血糖症の治療。

腸内環境を整えるために、かなり大量の乳酸菌を摂取。

食後の胃腸症状には、パパイヤなどの酵素。

肝臓解毒のためのグルタチオン、低血糖状態を避けるための食間の煮干しとナッツの補食、ライム病菌や共感染症の菌を殺すためのハーブ薬、オリーブ葉抽出物。

また、むやみに家の中で動かなくなったこと、廊下や洗面所で、バタンと倒れることも減った。

ライム病が原因か、脳脊髄液減少症が原因かはわからないが、POTSが悪化したことを自分で認識して、頭を上げていられないなら、上げていられないなりの生活に変えざるを得なかったのだと思う。

海外のPOTS情報を調べると、ライム病、ME/CFS, 脳脊髄液減少症の人がPOTSを起こすことが書かれていたので、そうなんだ!と納得した。



以前は、元気なころの自分に近づくために、無理にでも動き、10分でも継続して歩行ができたら、生活の幅が広がるだろうにとそれを目標にしていた。

3分歩けた!だの、良くなっているだの言って、喜び、その後、クラッシュして、落ち込み、、、

今は、もう以前とは違う生物になったのだ!というところで、自分なりの落としどころを見つけたのかもしれない。





思うと、神様は沈黙していたのではなく、私と共におられて、人々を用いて、私を養ってくださっていたのだ。

家族の助けと祈り、訪問看護師の友情、ケアマネやヘルパーさん、点滴を処方してくれる主治医、、、

神様は、Jesus' helpers(イエス様の助け人)をそばに置いてくださっていた。



変な生き物になっちゃった(そういうことに今はしておいてくれ!)私の世話してくださっていた水族館の館長は、創造主なる我が神だったのだ。



何の意味があって、この苦しみに遭っているのかはまだわからない。

わかる時が来るかもしれないし、死ぬまでわからないかもしれない。

でも、その旅路の要所、要所で、神様が私に語りたいこと、教えたいこと、経験させたいことを1つずつ与えてくださり、神様は神様の方法で、ご自分の作品である私を造りかえておられるのだろう。


そして、私が洗濯機に入れられてもみくしゃにされていても、コンクリート詰めにされて、息ができない時も、イエスキリストは、私とともにずっとおられたのだ。




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死の網がわたしを取り巻いた(2) 






~死の網がわたしを取り巻いた(1)の続き~



正直、ここ数か月の私の一番の敵は、病気自体ではなく、そこから派生する孤独だったのだと今は思う。

私には、病気に理解のある家族や親しくしてくれる訪問看護師がいるが、1人暮らしで、慢性疾患を抱えて家から出られない方々の孤独感ははかり知れない。

1人でも、理解者がいて、もしくは、その人の病気のことを少しでも知ろうと努力をしてくれる人がいて、月に一度でもいいから、短い時間でも様子を見に行く、5分でもいいから電話する、生の人間と声を交わすこと、誰かが自分のことを気にかけてくれている、、

そういうことが自殺防止になるとつくづく思った。



シドニーに帰れば、短い時間でも、当日の電話一本で様子を見に来てくれる友達がいる。

兵庫にいる時も、自宅が教会だったから、人の出入りが何かとあった。

学校帰りの小学生や通りがかりの友達が窓から入ってきてくれて、様子を見に来たりしていたので、寂しいと思うことはなかった。



東京に来てから、父の介護で忙しく、地元の旧友たちとも疎遠になり、気軽に会える友達がいない。

ハウスチャーチの友達も病気なので、毎週毎週会えるわけではないのだ。

外国人家庭をサポートするNPOが近くにあることを知り、そこに行こう、行こうとするが、車椅子に乗り込むことすら難しく断念。

何か新しいプロジェクトに取り組むエネルギーも、

新しい人間関係を作るエネルギーもなく、アイディアだけが自分の中で不完全燃焼していた。





社会からぽつんと取り残されている孤独感と、何か責任のあることや日時が決まっている行事に参加できない失望感も激しかった。


なんとかこの孤独感を払拭しようと色々と策を講じたが、その前に本格的な夏が来て、環境も一変した。



ここ3週間、連日連夜のライム病発作や硬直、脱力で、意識が薄っすらとしかない状態が続き、

救急看護師が頻繁に出動していた。

時に一日に2回看護師が出入りすることもあった。

1分も頭を上げられない状態に陥っている中で、

誰もいない家で一日じゅう1人でいて、洗面所や廊下で倒れているのを発見されることが重なり、

10日ほど前から、母が家に寝泊まりするようになったことで寂しさは一掃された。

感謝!感謝!




そのおかげで、以前のように寝転がりながらだが、

毎日聖書を読んでもらえるようになり、霊的な喜びも戻ってきた。

先々週の日曜日は、憲法改正で日本が集団的自衛権だとか、色々なこじつけで戦争に行ける国になってしまうことをなんとか食い止めたいという想いで、主人に抱きかかえられて、ストレッチャー車椅子に乗せてもらい、息たえだえの状態だったが、死に物狂いで5分先の選挙にも行った。

その後、選挙が済むとすぐ脱力し、そのまま家に運ばれたが、

病気の友達が一緒に礼拝したいと、家の近くまで来ているという電話があり、

母とクーちゃんに司式をしてもらい、倒れたままの状態で、共に礼拝をすることもできた。



寂しさで飢え渇いていた私の魂に生ける川の水が流れるようだった。

神様の恵みだ。



今週も、真っ暗な部屋で、聖餐式を執り行ったが、

あまりの喜びに涙がこぼれた。


ヨシュアが、イスラエルの民を率いて、神様の約束の地カナンに入る時、神様は、雪解けと春の季節で轟轟と流れるヨルダン川をせきとめた。

ヨシュアは、民が渡り終えると、イスラエルの12部族に12の石を運ばせ、それを宿営地に立てた。

神様がしてくださった恵みを覚えるためである。



私も、聖餐式のたびに、神様に赦され、永遠のいのちを与えられ、神の子として生まれ変わることができたことを思い出す。

私のために裂かれた主イエスキリストの体。

わたしの罪の身代わりになって、流された主イエスキリストの血。

そして、神様が、私や私の家族にどんなにすばらしいことをしてきてくださったかを聖餐式によって、思い出したのだった。



イエス様は、孤独や失望感、症状に支配されて、神の国ではないどこか違うゾーンから抜け出せなくなっている私を抱えて、抱き上げ、肩に乗せて、神の国に連れ戻してくださった。



「わがたましいよ。

主をほめたたえよ。

主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。

主は、あなたのすべての咎を赦し、

あなたのすべての病をいやし、

あなたのいのちを穴から贖い、

あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、

あなたの一生を良いもので満たされる。」(詩編103:1-5)


私は、何度も何度も引き上げられ、何度も何度も、神様の恵みを経験する。

それは、「良いもの」以外のなにものでもない。
































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死の綱が私を取り巻いた(1) 






今月はじめ数日調子がましな日があったのもつかの間、

7月7日日曜日から、急降下。


週2回の訪問看護では足りなくなり、

ほぼ一日おきに、時に、一日に数回、救急看護師が出入りしていた。





今日は、少し回復して、床を這って移動せずとも、

トイレまでの数歩や部屋の移動が壁や手すりをつたってならできるようになった。

座位も立位も1分も保てず、すぐにだらんと寝転がるしかない。

(後記:これは、19日ごろに書いたのかな?!この後、また10日ほど第2ラウンドの連日連夜の発作が続いた。)




母が80歳、年相応の物忘れもあり、

主人は外国人、難しい日本語がわからない。

私は、ライム病からくる認知機能障害がある。


私の調子がましな時は、3人の勘違い、誤解は、ただの笑い話だが、

救急時の勘違い、誤解は、常に、不必要な大惨事につながってしまうのだ。

正月に「お年玉袋」買ってきてと頼んだら、

くーちゃんが「御霊前」袋を買ってきたという可愛いエピソードとはちょっくら違う。




2分先の近居の母が、呼ばれるたびにハアハア言いながら、応援にかけつけても、

一緒に住んでいないので、前後関係がわからない。



くーちゃんが日本語で説明するが、

もはや、何語で話しているのかわからない。

でも、母はわかった気がしちゃう(笑)らしく、

すぐに行動に移す。

でも、誤解しているので、

私の状態とは関係ない行動に出る。



そこで、誤解している母がまた何かくーちゃんに指示を出す。

そうすると、くーちゃんもわかった気がしちゃって(笑)、

誤解して、またまた別の行動に出る。


くーちゃんは、とにかく、硬直している口と喉にそのまま粉や水をぶちこんでくる。

でも、硬直しているので、飲み込むことができず、全部、布団の上に垂れ流し状態になる。


次に母が、私にまかしんしゃい!とばかりに、粉薬を水に溶かす。

そこまでは、よい(笑)

何がすごかったかというと、ジストニアのせいで、

口がパッカーンと開いたまま硬直しているところに、

溶かした薬をスプーンで口に注ぎ込むと、

無理矢理、口を閉じさせようと、両手で上唇と下唇をつかんで、

ぎゅーっと閉じようとする。


いやいや、それは無理でしょう、、、いくらなんでも。(笑)

脳が筋肉を固縮させる指令を出しているのだから。


それでも、母は強し!


再び、口はパッカーンと開いてしまうので、入れたものがダラダラとこぼれでる。


それでも、まだ負けじと、リズミカルに、母は溶かした薬をスプーンで入れて、

再びギューッと口をつぐませようとする。


で、口は、パッカーンと開く。

はい、薬、流れ出る。


それを何回も続けてくるので、

さすがに、おかしくなっちゃって、

もう、その滑稽な場面に、

心の中では大笑いしているのだが、

もちろん、声も出ない。



結局、救急看護師が到着するころには、

布団は水浸し、粉や食べ物でぐちゃぐちゃの状態。



時には、寒いのに、暑いんじゃないかと冷やしタオルを全身にまかれることもあれば、

暑いのに、寒いんじゃないかと毛布でぐるぐる巻きにされたりする。



「殺される~~~~」っと、

また頭の中では大笑いしているが、声は出ない。



2人は、必死に対応してくれているから、笑っちゃいけないのだが、

本当にこの二人、漫画のようにおもしろい。



普段は、一日中1人でいるため、

洗面所や廊下で倒れていても、救急も呼べない。

かろうじて、母に自分で電話しても、ただ「う~」とか「だ~」とか一言発するのがやっと。

母に連絡できない時は、

くーちゃんが発見するまで、そのまま倒れた状態で何時間も過ごすこともある。



でも、夏になって、そういう状態が連日続くようになり、

さすがに、人に何かを頼むのが苦手な私も、

母に泊まってほしいとお願いした。



今は、一日のほとんどを頭も上げていられない状態で、

座位も1分たりとも保てず、寝転がりながらの食事が続いているので、

胃腸症状も悪化していて、食べるたびに苦しむ。



今朝、久しぶりに、寝転がったまま、真っ暗な部屋で、

母とくーちゃんと3人でミニ礼拝をおこなった。




「死の綱は私を取り巻き、滅びの川は私を恐れさせた。

よみの綱は私を取り囲み、死のわなは 私に立ち向かった。

私は苦しみの中に主を呼び求め、

助けを求めてわが神に叫んだ。

主はその宮で私の声を聞かれ、

御前に助けを求めたわたしの叫びは御耳にとどいた。」((詩編18:4-5)



母とくーちゃんは、この箇所を読んで、

確かに神様は祈りを聞いてこたえてくださったと、

神様に感謝の祈りをささげていた。


慢性ライム病患者は、発作中に急死する場合があるので、死に直接関わらないとは言い切れない部分があるため、

連日連夜の発作で、くーちゃんも、仕事の予定をずらしたり、早く切り上げて帰ってくる日もあった。

そんな中、寝転がったままではあるが、

私がやっと神様の御言葉を聞ける状態まで落ち着いたことに

二人はほっとしたのだと思う。


私は二人とは逆に、神の国ではないどこか別の領域、

ゾーンに入り込んで抜け出せないような状態だった。

気が遠くなったり、意識が薄くなっていたので、

祈ることも、思考することも不可能だったのかもしれない。


(2)へ続く










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痛みと孤独と退屈をくつがえすのは、Faith, Hope, and Love 

Pain, Loneliness, and Boredomをくつがすには、Faith, Hope, and Loveだな。

信仰、希望、そして、愛。

その中で一番大切なのは、Loveだな!

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大胆に自分の願いを神様に祈っていいんだよ~! 




大胆に自分の願いを神様に祈っていい。

神様はその祈りに必ずこたえてくださる。



時に祈ったことと違う結果になることがあるのも事実だ。



コーラがほしいと自動販売機のボタンを押したのに、

100%オレンジジュースが出てきたりするみたいな。


でも、それは、、、

私がほしいと思ったものより、

私に必要なものを知っている神様のなされるわざ。


祈りのボタンは押していいのだと思う。

神様は、必ずや、よいものを与えてくださる。



「わたしはあなたがたに言います。

求めなさい。

そうすれば与えられます。

捜しなさい。

そうすれば見つかります。

たたきなさい。

そうすれば開かれます。

だれであっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。

あなた方の中で、子供が魚をくださいと言う時に、

魚の代わりに蛇を与えるような父親が、いったいいるでしょうか。

卵をくださいというのに、だれが、さそりを与えるでしょう。

してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、

自分の子どもには良いものを与えることを知っているのです。

とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、

どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」(ルカ11:9-13)


経済的なこと、人間関係のこと、家族内のこと、仕事、恋愛、結婚、老後、病気の治癒、、、、

私たちには祈りの課題がたくさんだよね。。。



神様は、その一つ一つの祈りにこたえてくださる。

押したボタンで、神様が何を与えてくださるかは、お任せする。



でも、最も大切なことは、聖霊(神の霊)を求めることだと思う。



空の鳥を見てごらん。

道端の草を見てごらん。

あなたの瞳を鏡の中で見てごらん。



すべてのものを創造され、養われている

神様の霊を求めるならば、神様は聖霊をお与えになる。







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慰めのスイカの巻 



昨年、私は、父の納骨式に行くことができなかった。



ちょい悪の父が神様に導かれ救われるまでの道のり、

父が3食食べられないほどの困窮状態になった時のサポート、

再び道をそれた父と何十回と交わした祈りと聖書の言葉、

父が、骨髄異形成症候群になってからの介助、通院付き添い、

入院、ケアマネとの連絡、お見舞い、

看取り、葬式、お香典返し、

遺品整理、アパート引っ越し手続き、役所手続き。


くーちゃんの助けと高濃度ビタミンC点滴の助け、

そして、なにより、神様の御言葉と慰めがあったから、

喜びをもってそれをすることができた。

父の世話をすることは、神様への礼拝でもあった。



それでも、PS8-9で、一日の70%-90%以上、頭を下げている状態の私が

文字通り、床に這いつくばって、頑張ったその終着点が、

私にとっては、父の納骨式だったのだと思う。


終着点にたどりつけぬまま、私と父のこの世における歴史は終わり、

そのことへの憤りと悲しみは、

ぐしゃっと、いびつに形を変え、

私の中の怪物になった。


今年も、教会で墓前礼拝をするというので、

どうしても、参列したかった。


もし、納骨堂で父の骨壺の前で神様に祈ることができたら、

自分の気が済むのではないか、

一連のことに対する家族への怒りに終止符を打てるのではないか、

そういう想いで、参加希望のハガキを出した。



教会から電話が入っていた。

大勢の人たちがバスで移動する教会行事で、

今年納骨をされるご家族もいるので、

大きなリクライニング車椅子で、

発作を起こしかねない私が行くのは無理だと判断され、

やんわり断られることも、多少、覚悟していた。


ところが、ちょい悪の父を神様の救いに導いてくださった教会のおじさんが、

「雅子ちゃんが行きたいなら、なんとかして行けるようにするから、心配しないで。

墓の下まで普通の階段より急な階段があるけど、行きたいなら、

なんとか、クレイグさんと抱きかかえて連れて行けると思うよ。」と言ってくださった。



副牧師も、電話で、「車椅子をたたんで、バスに乗せられると思うし、

当日、行けなくても、バスのキャンセル料とかは気にしないでいいですよ。」と心が軽くなる言葉をかけてくださった。



父が亡くなった時も、牧師が「夜中でも明け方でも何時でも電話くださいね。」と言っておいてくれたから、

真夜中に雨の中、1人で車椅子で病院にたどり着いた時も、

遠慮することなく、真っ先に教会に電話をすることができた。



ここ1週間、高濃度ビタミンC点滴とマイヤーズを打って調子もよいほうだったため、

教会のおじさんとの会話もはずんだ。



久しぶりに、人と電話で話した喜びと、

誰かが気にかけて電話をくれたという嬉しさで

楽しく話をしている間も、私の目は涙ぐんでいた。






しかし、残念ながら、願いはかなわなかった。



ここ数日は体力を温存し、昨日は念のため、

臨時のニンニク注射とプラセンタ注射も打って万全のはずが、

低気圧と月経後の不調には、やはり勝てなかった。


朝4時半まで一睡もできないまま、少しだけ寝て、朝がきた。

くーちゃんが、布団の上で、

死体のように硬直し、会話もできなくなっている私に

ストローで薬を飲ませ、なんとか対処してくれて、

救急看護を呼ばずにしのいだ。


親戚を招待したのに、姉夫婦も不参加、

私も行かないじゃ、親戚に申し訳ないと思い、

更に情けなくなった。

「僕が代表で行くから、しんぱいしな~い。ゆっくりしてくださ~い!」と、

くーちゃんが玄関を出て行った後、

墓に父がいるわけでもないのに、

父に会えない寂しさで、布団をかぶって大泣きした。




すると、ピンポーンと玄関のチャイム。

布団から這い出て 廊下を這い、

体を起こし、玄関を開けて

泣きじゃくった顔で、玄関の椅子に座った。



宅配便のお兄さんだった。


宛名をみた瞬間、

あまりの感動で

泣き崩れてしまった。



さっきまでの悲しみの涙が一瞬にして色を変えた。



いつもさりげなく、そっとそこにいてくださる病友から送られてきた贈り物だった。



中には、「ご家族と食べてください。」というお手紙に添えて、スイカが入っていた。






「悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。」(マタイ7)




悲しみと涙に暮れている最中の思いがけない「慰めのスイカ」だったのだ。



何かがストンと落ちた。



墓になんか行けなくても、もう、いいや!という想いが生まれた。

父は、墓にはいない。

神様の愛のうちでやすらいでいるのだから。



まるで、「ヤボクの渡し」での、神様との格闘が終わり、

自分自身の中の何かが、優しく、くじかれて、

神様の前に頭を垂れている、、、そんな平安の中に入れられた。




教会の方々の優しい配慮、

そして、病友からの思いがけない贈り物という形で、

私の中の怪物は、慰めをうけて、癒され、とけていなくなった。



「わたしたちの主イエス・キリストの父なる神、

慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえられますように。

神は、どのような苦しみの時にも、

私たちを慰めてくださいます。

こうして、私たちも、

自分自身が神から受ける慰めによって、

どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。

それは私たちにキリストの苦難があふれているように、

慰めもまたキリストによってあふれているからです。」(第二コリント1:3-5)






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人生がふらつくとき、テーマや指針を見失っている  

おととい!

7年半ぶりくらいに、

車椅子なしで!

ひとりで!

隣町まで行き、岩盤浴をした!



高濃度ビタミンC点滴とマイヤーズ点滴を2週連続で打ち、

1か月の副作用との格闘の後、

ボトックス注射も効いてきたので、

その日は、2,3分確実に歩行を持続できる確証があった。



まず、3分先の公園へ。

そこで、一度頭をおろす。

(ちなみに、私の血圧は寝転がっている状態が80-90代、

下が40-50代なので、起立すると更に低くなる!)



本当は、そこで引き返すべきだったが、

片道分の歩行しか考えないで、家を出てしまった上、

このまま帰るのではあまりにもつまらない。



さてさて、どうしたものかとしばし考え、、、



思いついたのが、隣町の岩盤浴場に寝転がりに行くことだった。




公園近くのバス停まではすぐ。

ベンチに座り、飛行機の緊急時の前屈姿勢で、

薄っすらと(笑)祈りながら、バスを待った。



すぐに座れることが前提でバスに乗ったが、

はじめての車椅子なしでのバス乗車。

しかも、杖を鞄に入れてしまっていて、ヘルプマークもつけていなかったので、

完全に見えない障害状態で、席を譲ってもらえないのは当然のこと。

想定外の起立姿勢を保てるわけもなく、

荷物を置く台に

90度の二つ折りになってもたれかかった。(笑)

ここで、明らかに見える障害に変貌!


私にとっては、頭が最も重い荷物なのだ!


ちょっと意識が飛びそうになったが、

やっとのことで、空いた席に座り、

5分間の座位をただひたすら辛抱、我慢。


「もうちょっとで、寝転がれるよ~、大丈夫だよ~。

イエス様が一緒だよ~。」


バスをフラフラと降りて、ベンチで再び前屈座位の姿勢。



あと、1分弱の歩行で岩盤浴場のベンチに到着できると自分を奮い立たせ、岩盤浴場にたどりついた。



エネルギー温存のため、

無言で受付を済ませ、

休憩室のベッドにゴ~~~~~~~~~~~~~~~ル!





そこからは、いつものように、ペインサールという薬を飲んで、

発作や脱力が起きない状態をまずつくり、

お風呂(寝湯)、炭酸泉、サウナ、岩盤浴、食事どころなどを1人で楽しんだ!

(やっほ~!)




部屋から部屋の移動さえできれば、

食事の時でさえ、すべて寝転がっていられるので、私には安心な場所。

寒い時期に、調子がましな時に車椅子で時々行っていたが、

ここでは、一度も発作を起こしたことがない。



大人用のスパなので、照明が暗い。

脱力しない薬さえ飲んでおけば、

一日中ここで寝ていられるのだ。



帰りは、1人で車椅子なしで出かけたことを

留守電のメッセージで知ったくーちゃんが、

日本語クラスの帰りに真っ青になって迎えに来たが、

その時点で、まだクラッシュしていなかった。



そこで、調子に乗って、

岩盤浴下のちょい飲みバーで、ハイボールを飲んだとさ!




座位が保てないので、10分もたたずにギブアップして、

外のベンチで横になったが、

そのそばで、酔っ払ってバーのテーブルをグルグルグルグル回しているサラリーマンのおじさんのお陰で、

私がベンチで寝転んでいても、ただの酔っ払いの女!」として背景にうまく溶け込めていた。(笑)






帰りは、主人に左側を抱きかかえられ、右側杖で、足をズルズルさせながら、

首が垂れ下がった状態での帰宅だったが、大満足だった!


やってやったぜ~!

The Challenger!


こういうことができたのも、最悪の場合、タクシーですぐに帰れる

家から徒歩20分圏内の隣駅だという安心感と

高濃度ビタミンC点滴とマイヤーズ点滴でガソリン満タン状態だったこと、

痛みが軽かったこと、発作を起こさない薬を何度か飲んだことなど、

状況判断からも、大丈夫という好条件を自覚していたからだ。



ある意味、どんな状況になっても、絶対に大丈夫!という確信というのは何よりも強い。

今日は、ヨシュア記を読んだが、ヨシュアは、神様の召しを受けて約束の地であるカナンに進んでいく。

ヨシュアは、エジプトの奴隷だったイスラエルの民をエジプトから導き出した神様のしもべモーセの従者だった。

「従者」とは、「拝む、代わって務めをする、従う」などの意味があるが、

ヨシュアは、神様の約束に忠実に従い、神様の約束をしっかりと握りしめ、

神様の言葉をいつも心にとどめて、ぶれることなく、

約束の地であるカナンを征服したリーダーだ。


「あなたの一生の間、だれひとりとしてあなたの前にたちはだかる者はいない。わたしは、モーセとともにいたように、

あなたとともにいよう。わたしはあなたを見離さず、あなたを見捨てない。

強くあれ。雄々しくあれ

わたしが彼らに与えるとその先祖たちに誓った地を、

あなたは、この民に継がせなければならないからだ。」(ヨシュア1:5-6)


ヨシュアは、神様の約束は必ず完了するということを信じ切って、

1:5-6)当時、武力にたけて、エジプトやユーフラテスにまで勢力を伸ばそうとしていてヘテ人との闘いにいどんだ。



自分の力、知恵で何かを成し遂げる時、人は高ぶる。

でも、自分では到底無理だろう、いくらなんでも成し遂げるのは困難だろうと思えるような時、

神様がともにおられることを計算に入れ、

神様の御言葉の言わんとすることを深く心にとどめ、

「絶対に大丈夫なんだ」という確信をもって物事にのぞむとき、

思いもよらない神様の御業を経験し、事を成就することができる。



神様を信じる私たちもまた、

必ずや、私たちは、永遠の安息に入れられるのだ!という神様の約束を思い出す時、

今、一時的に寄留しているこの世で、たとえどんなことがあっても、

「最終的には、約束は成就されるのだ!大丈夫なんだ!」と確信できる。


そればかりか、この世に生きている間、クリスチャンとしての目標やテーマからぶれないことも大切だ。

私たちは、この世の流れや運命、

自分の境遇に押し流されて、溺れているわけではない。

私たちクリスチャンは、どこから来て、どこへ行くのかを知っている。

イエスキリストを信じる信仰によって、

すでに罪の赦しと永遠のいのちを与えられ、この世に生きている間も、

神様の愛と祝福を受け取りながら、やがて、神の国に挙げられる日まで、

この世においても、失敗を繰り返しながらも、

神様を愛し、神様の作品である自分を愛し、人を愛していく。



神様の召しをしっかりと握りしめて、ヨシュアのように、従う者になっていきたい。


(従うのが最も苦手な私だけれど 笑)




人生がふらついている時は、目標を見失い、人生のテーマがぶれている時だ。



地上のことではなく、

天国に属することに目を向けていこうと思う。



「こういうわけで、もしあなたがたが、

キリストとともによみがえらされたのなら、

上にあるものを求めなさい。

そこには、キリストが神の右に座を占めておられます。

あなたがたは地上のものを思わず、

天にあるものを思いなさい。

あなたがたはすでに死んでおり、

あなたがたのいのちは、キリストとともに、

神のうちに隠されてあるからです。」(コロサイ3:1-4)














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これは、神様からの嫌味?!と思いきや、それは神様の恵みなのでした~ 

「悪いことばを、一切口から出してはいけません。

ただ、必要な時、人の徳を養うのに役立つ言葉を話し、

聞く人に恵みを与えなさい。

神の聖霊を悲しませてはいけません。

あなたがたは、贖い(あがない)の日のために、

聖霊によって証印を押されているのです。

無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、

一切の悪意と共にみな捨て去りなさい。

お互いに親切にし、心の優しい人となり、

神がキリストにおいてあなたがたをゆるしてくださったように互いに赦しあいなさい。」(エペソ4:29-32)


この聖書箇所が出てきた時、「え?神様、これ、私に対する嫌味?」って思ってしまった。



「悪い言葉を一切口から出してはいけません。」とあるが、

正直、この具合の悪さの上に、

月経前後の気分障害が重なった時は、

悪い言葉しか(!)出なかったのだ。


「悪い言葉」ってギリシア語でサプロスと言って、「腐った」という意味。

月経前後は、刺し通される痛みが更に激化して、それが気分と表裏一体になってしまい、

本当に腐りきった言葉しか出なくなってしまう。



最近、死について考えることが多かった。

この3年で、愛犬チリが死に、父が死に、私のストーカー犬ヒューゴが死んだ。

介助と看取りの中で、ああ、生き物は、簡単には死ねないのだなあと思ったし、

愛する家族が痛み、苦しむ姿を見るのは辛かった。


安楽死についても考えた。

激痛や労作後の衰弱や不調と何十年も共存する人間にとって、

この体を脱ぎたい、解放されたいと思ってしまう瞬間があるのは当然のことだ。


オーストラリアのビクトリア州では安楽死が合法化したそうだ。

6か月から1年の間に死亡することが医師によって証明されている場合のみ許可されるらしい。



刺し通される痛みがある時(いつもじゃないです!)にPMDDが重なると、

自殺や安楽死など、

ふとそういうことが頭をよぎってしまう。

この体から解放されたい一心で。




先日、苦しみの中で、ディボーション冊子を泣きながら読んだら、

「妻は、最後まで激痛に苦しみながらも、讃美歌を歌って、この世を去りました。」という証が書かれていた。



本来、そこで、「ああ、主よ、私もそのような者であらせてください。」と祈りたいところだが、、、、

「無理だよ~、神様!」とこぼした。

余命がわかっている場合ならまだしも、

いつまで続くかわからない状態で、

いつも喜んで、絶えず祈り、すべてのことに感謝をささげることが今の私にはできない。

祈りの友が必要だ。




繰り返される痛みと労作後の衰弱、

眼瞼痙攣のボトックス注射の副作用に、梅雨や暑さで不随意運動起こしがちで、

訪問看護だけでなく、

救急看護も何度も呼ばねばならない厳しい6月だったのだ。

そこに、日本語が堪能ではないくーちゃんと

80歳の近居の母、

衰弱、硬直、痛みと認知機能障害のある私の微妙なトライアングルで、時に本当に危険を感じる。






「主はいつまで拒まれるのだろうか。

もう決して愛してくださらないのだろうか。

主の恵みは永久に絶たれたのだろうか。

約束は世々に至るまで、果たされないのだろうか。

神はいつくしみを忘れたのだろうか。

もしや、怒って憐みを閉じてしまわれたのだろうか。」(詩編77:7-9)





そんな私のうめきのような祈りに、主はパウロの言葉を通して、こたえてくださった。





「私たちの中でだれひとりとして、自分のために生きている者はなく、

また自分のために死ぬ者もありません。

もし生きるなら、主のために生き、

もし死ぬなら、主のために死ぬのです。

ですから、生きるにしても、死ぬにしても、

私たちは主のものです。」(ローマ14:7-8)



自殺とか、安楽死とかを考えてしまうのは、

結局、私は自分の人生を自分のものだと思っていたからだと気付かされた。



「あなたがたはキリストのもの。キリストは神のものです。」(第一コリント3:23)




「私はキリストとともに十字架につけられました。

もはや、私が生きているのではなく、

キリストが私の内に生きておられるのです。(ガラテヤ2:19-20)



図々しいね、、、。

神様に造られ、愛され、救われている分際で、自分を殺してしまうなんて!



しかも、キリストが私のうちに生きておられるのだから、私は聖霊の宮。

どんな迫害や苦しみに遭おうと、守らねばならないんだね、、、

救いの日に神の御国に挙げられるその日まで。



「無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、一切の悪意と共にみな捨て去りなさい。

お互いに親切にし、心の優しい人となり、

神がキリストにおいてあなたがたをゆるしてくださったように互いに赦しあいなさい。」



正直、今回、自殺未遂をしてしまう危険を感じ、家族や看護師にも相談(というより、脅迫?!)していたが、

病友の励ましがなかったら、危なかった。



こういう状態になるのが、

自分の罪深さやわがままから来ている場合と、

身体的、精神的病気のせいで、脳の伝達物質が異常をきたし、

悪い言葉を出したくなくても、自傷をしたくなくても、自分ではコントロールできない病態がこの世にはあると思う。



それでも、その都度その都度、聖霊を悲しませてしまったことを

悔い改めさせていただくことができることに感謝だ。



イエス様のように優しい優しい人になれるように、祈っていきたい。




今日、この日をもって、私はもう2度と、

「死にたい」という言葉を口にしないと決めた。

どんなに苦しくても、絶対に自殺しない。

安楽死なども口にしない。



私は、主のもの。



アーサーホーランド牧師が、

十字架を背負って日本を縦断している。

私は、私の十字架を背負って、イエスキリストについていく。



PS:病友に本当に感謝!まじでやばいところまでいっちゃってました!

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方向転換の時 

「五旬節の日になって、みながひとつ所に集まっていた。

すると突然天から激しい風が吹いてくるような響きが起こり、

彼らの家全体に響き渡った。

また、炎のような分かれた舌が現われて、一人一人の上にとどまった。

すると、みな聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、

他国のことばで話し出した。」(使徒の働き2:1-4)



イエスキリストは、十字架にかかったのち、40日間、

人々の前に現れて、ご自分がよみがえられたことを弟子たちに示された。

その後、イエス様は弟子たちにエルサレムを離れることなく、父なる神の約束を待つように告げる。

「しかし、聖霊があなた方の上に望まれてるとき、あなたがたは力を受けます。

そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」(使徒の働き1:8)

こうお告げになってから、イエス様は弟子たちが見ているところで天に上げられた。

それから、弟子たちは、エルサレムにある家に集まって、心を合わせ、祈りに専念していた時、ペンテコステの出来事は起きる。

なんと、ごうごうと激しい風のような響きが家をおおい、炎のような舌が現われて、そこにいたひとりひとりの上にとどまって、急に彼らは外国語で話し始めるという不思議な出来事が。

この時、旧約聖書ヨエルの預言が成就し、神の霊が地上に注がれる。

そして、イエスキリストを救い主として信じる者は、この地上で救われるどころか、この世の命が終わった後も永遠に生きる。

使徒ペテロは、人々に伝える。

「悔い改めなさい。

そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエスキリストの名によってバプテスマを受けなさい。

そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。」(使徒の働き2:39)


悔い改めるとは、神を信じず生きてきた罪から解放され、方向転換をすること。

自分がまるで自分の神であるかのように生きてきた的外れから解放されること。

今日がその方向転換の時。

たとえ、どんなに神様を冒とくし、たとえ、どんなにクリスチャンを批判し続け、

たとえ、どんなに神様を悲しませるようなことをしたり、言ったりしてきたとしても、、、、

神様は、その罪をゆるし、永遠の愛をもって、私たちの霊を建て直してくださる。



神様は、あなたを愛しておられる。









PS:画面を見ないで打っているので、誤字脱字あるかもしれません。



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互いに愛し合うために必要なこと 

「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。

互いに愛し合いなさい。

私があなたがたを愛したように、

あなたがたも互いに愛し合いなさい。」(ヨハネ13:34)



お茶やおはなのお稽古に行く人は、師範の言う言葉を聞き、師範のすることを見よう見まねで学ぶでしょう。

イエス・キリストは、ご自分のいのちをささげました。

イエス様は、人類の罪の赦しのために十字架にかかり、死んだ後、この世の呪いである死に打ち勝って、

3日目によみがえられました。

このことを信じる者が罪の赦しと永遠のいのちを得、

自己中心的で的外れな性質(罪)によって断絶されていた神様との親しい交わりに入れられます。



旧約聖書の預言が成就される日を目の前に、イエス様は、弟子たちの足を洗いました。

この時代のユダヤ文化では人の足を洗うのは奴隷の仕事でした。



「それで主であり師であるこのわたしがあなたがたの足を洗ったのですから、あなたがたもまた互いに足を洗うべきです。

私があなたがたにした通りに、あなたがたもするように私はあなたがたに模範を示したのです。」(ヨハネ13:14-15)


イエス・キリストの弟子となる時、お茶やおはなのお稽古と違うことがあります。

私たちはイエスキリストの 生き様や言動を見よう見まねで 自力で習得することはできません。

敵を愛することも、自分や自分の家族を 苦しめた人をゆるし、彼らのために祈ることも 、自分自身を愛し、自分の愚かさをゆるすことも、、

私たちの精神力や修行、自己啓発や知識で できることではありません。

私たちに必要なのは、イエス・キリストの十字架の死と復活を信じる信仰によって、神様の愛と赦しを受け取ること、

信じた者に与えられる聖霊によって 、イエスキリストに似た者に造り変えられていくことです。


神様の愛を受け取って、はじめて、私たちには互いに愛し合い、しもべのようにへりくだって、人に仕えることができるようになるのだと思います。

自分の中の人間的な愛にも、エネルギーにも限りがあると日々思い知らされています。

イエス・キリストに自分の一番汚い部分、自分の足を洗っていただいているからこそ、

私たちもまた師であるイエス・キリストが模範を示されたように、

人の足を洗えるようにされていくのかなあと思います。


#jesusgarden #bible #christian #イエス・キリスト #クリスチャン

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Unrestのジェニファーさんは、寛解。ME患者、啓発家だった別のジェニファーさんが死亡。 

ScrewMEというページでME/FS啓発をしていたジェニファーさんが今週の金曜日に亡くなったとご家族が投稿しておられました。

5月12日啓発デーの前後も毎日のように、ベットから投稿を続け、5月13日の投稿が彼女の最後の啓発活動でした。

12日には、啓発カラーの青のパジャマを着て、ご家族も#MillionsMissingに参加し、彼女の靴が並べられていました。

ニューヨークのタイムズスクエアにおけるOMF啓発にも写真を提供し、12日には彼女の大きな写真がタイムズスクエアの大画面に映し出されました。

募金活動などを布団の中で行ったり、積極的にME患者のために働いてきました。

「ありがとう。お疲れ様です。」と言いたいです。



そして、生きている私たちは、彼らのバトンをつないでいく、生き抜いていくしかありません。



私が啓発運動を始めたきっかけは、ある啓発家の自殺です。

4回寛解して、次に再発した時に自らの命を絶ちました。



「ひとりじゃないよ!」というイベント名は、そこから来ています。

医療界、政府への怒り、周囲の無理解、、私たちが通っている道を彼も通ってきましたが、疲れ果ててしまったのです。



気持ちがよくわかります。

点滴治療をやめたら、死ねるのかなとふと思うこともあり、医師に聞いたことがあります。

「私が点滴を打っているのは、延命治療なのですか。」

すると、医師がこたえました。

「まだ若いから、点滴をやめても、死ぬわけじゃない。

点滴を打っていない時の苦しい状態が更に苦しくなるだけだ。」と言われてがっかりしました。

もし、延命治療なら、もう天国に行きたいな、楽になりたいなって思う時があるのです。



でも、死ねるわけじゃないなら、少しでもましな状態の時に、玄関の花に水をあげられる、神様を賛美できる、、

それだけでよしとしようと思いました。


ところで、MEドキュメンタリー「不安と共に生きる」のジェニファーさんが寛解し、もう、POTsも、光過敏も、労作後の不調もないそうです。

ジムにも通っていて、色々挑戦しているそうです。

甲状腺癌の手術の後、MEも悪化し、すさまじい状態だったジェニファーさんでしたが、その後、別のME患者がCCI(Craniocervical Instability 直訳すると頭頚部不安定)の手術で寛解したことで、ジェニファーに助言。

ジェニファーもその病態に陥っていることが判明し、頭部と頸部の接合部の神経手術や脊髄係留症候群、脊髄血種のための複数の手術を繰り返していました。

まだ、それらの手術自体から徐々に回復している状態なのですが、MEの症状が出なくなり、ME症状のために飲んでいた薬も飲んでいないとのこと。

実は、以前にジェニファー・ブリーが書いたCCIについて書いた投稿で、はじめて、海外のME患者にも、脳脊髄液漏出症が見られるということを知りました。

日本だけで、言っている話ではなかったのですね。



10代の頃寝たきりだったジェシカは、現在妊娠中。昨年末、MEがましになったという報告でしたが、妊娠していたことがわかり、飲んでいた薬などを減薬するのに、発作や救急を繰り返していましたが、落ち着いたようです。

2人ともに言えることですが、あまりに長い年月病気に苦しんでいたことから、自分だけが良くなったというサバイバーズギルト(生き残ったものの罪悪感)があるようで、ジェシカの場合、なかなか、妊娠したことが言い出せなかったと書いてありました。



死亡の知らせが時々流れる中で、少しでも良くなった、寛解した、軽快化したという知らせは、患者にとっては希望です。

胸をはって生きてほしいです。


そして、時々流れるME患者やライム病患者の死亡ニュースを見る時、生きている私たちは、ただ悲観するのではなく、彼らのいのちに感謝し、彼らの命と夢を引き継いで、生き抜いていかなければならないとつくづく思わされています。






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恐ろしい季節がやってきました~ 





先週から、何度も倒れがちだった。

(もう、聞き飽きた?! 笑)



眼瞼痙攣のほうのボトックス注射が切れているので、

瞼がぎゅ~ぎゅ~絞られ、瞼の皮が剥がされているような痛さ。

それが、どうしても全身のジストニアに広がってしまい、、、歩き方は変になっているけど、、、



この2週間は、結構頻繁に硬直発作と脱力発作を繰り返している。



先週も今週も、訪問看護師が来る前に、廊下とかで倒れていた。

看護師さんは、私が歯を磨く途中で洗面所でそのまま倒れていたり、

トイレに行く途中で廊下とかで倒れた状態のところに入ってくるので、もう慣れている。



市販の痛み止めペインサールに水を加え、

ペースト状にして口に入れて、硬直しているのをまず脱力させてくれる。

脱力した状態の私をふたりがかりで部屋に運び、点滴をぶち込む(笑)

点滴は、おそらく髄液漏れの対処療法なんだろうな。



結構なすさまじさなんだよね、この発作が!

まあ、慢性ライム病の人の動画見ると、同じような状態なので、発作自体はライム病から来ているのだと思う。

満月の周期か、ホルモンの周期になりやすい。



ホームページの啓発動画に載せているやつは、まだ自分の中で世間に見られてもいいやと思える範囲のもの。

本当は、もっとすごい固縮の仕方をする。

子供の時、人間の体がよくわからずに、リカちゃん人形の手足をえげつない形でまわしちゃったりしたでしょ。

関節と筋肉の法則(?!)を大いに無視した異様な形!(笑)

ああいう状態になるとね、、、

自分で戻せない。





それをくーちゃんが介助すると、硬直した喉と口に無理やり、粉末を入れて、水を口に入れちゃうので、

飲み込めないから、銭湯の「ライオンのお風呂」状態になる。(笑)

つまり、口からだ~っと粉や水が流れ出ちゃうのね。(笑:コメディだよね)

点滴にありつける時には、洋服びちょびちょなのさ。(笑)



あとで、大笑いするけど。。。その時は、結構みじめ。

でも、硬直時は、会話ができないので、「う~う~」とうなるだけ。



昨日は、看護師が粉薬を水にとかし、ペースト状にしたものを硬直した舌の上に塗り込んでくれた。

舌にのせた薬が少し効いて、舌と喉が少しゆるみ、ごくんと飲み込めるという新しい方法を編み出した!



昨日は、たまたま救急用の看護師も来ていて、二人で部屋に運んでくれたのだけど、

救急の看護師さんがすごい香料を放っていたのが更なる悲劇に。。。



硬直しているのに、香料に反応して咳が出てしまうのだけど、

喉の筋肉が硬直して、咳がちゃんと出ない。

犬が時々やるような逆呼吸になり、、、

呼吸ができずにくるしいのなんのって。



慣れているほうの看護師がすぐにマスクをつけてくれて、

呼吸がもとに戻るように誘導してくれた。

点滴をしたら、またいつものようにおしゃべりとかもしていたのだけど、

その後、看護師さん帰った後、急激な温度の変化のせいか、再び脱力状態に。



かろうじて、枕元にあった携帯で、母の番号押したけど、いつものごとく、万年留守電。

しかも、母は携帯持っていない。


それで、動けないまま数時間が過ぎ、、、



呼吸は苦しいは、薬を飲むという発想にたどりつかないほど朦朧としてしまって。。。



やっと5時ごろになって、本当に申し訳なかったけど、くーちゃんに朦朧としながら電話をして「う~う~」とうなったら、

「すぐに帰る」と仕事場から帰ってきてくれた。



そこからが大変で、、、硬直や脱力を繰り返し。



母も無言の留守電が何度も入っていることに気付いて飛んできた。

「父なる神、子なる神、聖霊なる神様、どうか雅子を癒してください。」

そういいながら、マッサージするのですが、、、

母もだんだん悲しくなってしまい、「私が悪いことをしたから、あんたが病気なのかな」と言い出しちゃうし、、、

私は、そんな母に「違うよ。神の御業があらわれるためです。って聖書に書いてあるでしょ。誰かが悪いことをした罰で病気になるというのは、キリストの教えじゃないよ。」と、朦朧としながら訴える。

やっと、夜涼しくなって騒動がおさまった後、今度は、くーちゃんが、号泣しちゃうし。。。

それで、私も号泣しちゃうし、、、。

地獄じゃなくて、何これ?っていう日はよくあるのですよ。



だけどね、、、感謝なことに、認知機能障害のおかげで、

次の日になると、

前日の苦しみと今日の苦しみがつながっていないの。



「だから、明日のための心配は無用です。

明日のことは明日が心配します。

労苦はその日その日に十分あります。」(マタイ6;34)

という聖書の言葉を無意識に生きちゃっている(笑)


明日のことを心配する必要がないの。

明日はまたどうなるかわからないので。

今日という日ひとつとっても、朝の状態と昼の状態と夜の状態は違うので、

今を生きるしか道がないという。。。



それにしても、くーちゃんがおもしろすぎる。

私をライオンのお風呂にさせちゃうだけでなく、昨日は、お腹をさすってくれていたのですが、、、

普通、一つの方向にゆっくりさするでしょ。

くーちゃんがやると、、、

まず、右にぐるぐるぐると3回、その後、左回りでぐるぐるぐると3回。

で、また右にぐるぐるぐつと3回。

もう、あまりにそれがおかしくて、苦しいのに大笑いしちゃったよ。



ああ、また、こんなの書いちゃったから疲れるね。。。

なんでかっていうと、もう硬直しすぎるので、カフェインの入った痛み止めを何回も飲んじゃっているから、書いてしまう。




以上






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心配するな! 




「あなたがたのうちのだれが、心配したからといって、

自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。

なぜ着物のことで心配するのですか。

野の百合がどうして育つのかよくわきまえなさい。

働きもせず紡ぎもしません。

しかし、私はあなたがたに言います。

栄華を極めたソロモンでさえ

このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした 。

きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の花でさえ

これほどに装ってくださるのだから、

ましてあなたがたによくしてくださらないわけがありましょうか。」(マタイ6:27-30)



もう枯れちゃって、駄目かなって思う子たちが、

息を吹き替えして花を咲かせる。

あ、子というか、植物ね、、。(笑)



実はうちの玄関の花たちはあまりいい環境にはいないの。

陽当たりがいいと私が枯れちゃう?!し、

毎日玄関に出て、世話できるわけではないし。

それでも、与えられた環境の中で精一杯生きている、

いや、生かされている。



今日も、倒れて看護師二人がかりで部屋に運ばれた。

その上、新しい看護師の柔軟剤の匂いででむせこんだけど、

喉の筋肉が硬直して、咳ができず、

呼吸困難で逆呼吸になり、苦しかった。

ペインサールを口に入れてもらい硬直を溶かして、

脱力させ、その上で点滴打って、復活させる。

それで、何事もなかったかのように、

気が合う看護師さんと冗談を言ったり、大笑いしたりする。





点滴の後、数時間休んで、

起き上がれる時は、玄関で少し座って痛みを紛らわす。



こんなことの連続の毎日だけど、、、

花を見てると思うのね。

なんも心配いらないんだって。



そういう気持ちがずっと続くわけじゃなくて、

心が、嵐に巻き込まれることもあるけど、、、

一瞬でも心配しないで神様に信頼しようと思える瞬間を大切にしたいんだあ。

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いつもOKじゃなくていい。。。 

「OKじゃない日があっても、OKなんだよ。

ある時は、他の時よりも(症状が)ハードな時もある。

あなたもそう感じる?」


私もね、、、もう無理って思う時があるの。。。

でもね、少しはましで、まだなんとかなるかもって時もある。。。

もう無理!って思う日があってもいいんだよ。

だって、本当に苦しいのだから。

「もう、無理だよね~。」「苦しいよね~。」

私は、自分の心の声に、そう共感してあげる。



弱音を吐いてもいいんだよ。



こういう病気はね、、、

医療界でも、福祉界でも相手にされず、周囲の誤解や無理解に悩まされ、、、

しかも、症状が絶え間なく、本当の意味で休める時も、本当の意味で体が楽な状態の時なんてひと時もない、、、

普通の状態がどういう感じかさえ、覚えていない、、、。


だからね、自分だけでも、自分の味方でいてあげたい。

苦しいことを歯を食いしばって我慢するんじゃなくて、時に涙を流しながら、「苦しいよね。よく、頑張っているよね。」って自分に言ってあげたい。

「何事でも、自分にしてもらいたいことは、他の人にもそのようにしなさい。」(マタイ7:12)とあるけど、それは、自分に向けても言えること。


人にしてもらいたいことを自分にしてあげるのも、

人にかけてもらいたい言葉を自分にかけてあげるのも、

愛するということなんじゃないかな。


#筋痛性脳脊髄炎
#慢性疲労症候群
#線維筋痛症
#ライム病

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I am nothing-私は何者でもないけれど、、、 満ち足りている?!時もあるの巻 

パウロに何かしらの肉体的な弱さがあったことが、彼の没後2千年たった今、弱さやゆがみを持つ私を慰めている。


Christianという言葉。


Christは、キリストのことで、ian は、I am nothingの略とも言えると今日牧師が言っていた。


実は、月曜日から急激に悪化し、かなりの痛みと硬直発作で、点滴でも元に戻らず、訪問看護師も変な形で、固まってるのを一生懸命なおそうと頑張ってくれた。


硬直がとけてから、二人で神様のお話などをして、なんだかお互い癒やされたねえと言っていたのだけど、、、
やはり、私の場合それでは終わらない。


会話をすればまた労作後の消耗と痛みが待っている、、、。


昨晩思った。


介護や看取りでお休みしていたマークはうすの礼拝が先月からスタートしたが、礼拝でギター弾くのも途中で固まるので、曲数は減ってしまう。(誰か弾いて!)


礼拝メッセージ準備も文字が書けない、記憶が飛ぶのでできない。


まあ、祈りながら、聖書箇所の解釈を間違えないように勉強をしたり、神様からかすかな声に耳を傾けてメッセージを受け取るようにして準備はしていて、

礼拝では、皆で聖書の言葉を読んで分かち合いをする形にしている。


私は寝転がっちゃってるけど、友達に会えるのも嬉しいし、とても恵まれた時間。


でもね、そりゃー、私だって、普通の教会生活したり、ハツラツと礼拝メッセージしたり、世界じゅうを飛び回って、神様のお話したいし、宇宙の果てまで?祈りに行かせてもらいたい。

(やる気満々すぎ!これは、性格的なもの.。父も、死ぬまでやる気満々だった!)



でもね、、、

ペテロが湖に網を放り投げても何も取れなかったように、自力で頑張ってもどうにもならない、何も得られない、空っぽ、無力なことが人生には起きてくる。

なんてつまらないんだって正直思うこともある。

教会で活躍してる牧師、子育てしてる友人たち、自由に旅してメッセージしている伝道者たちと比べちゃうと、まさに、I am nothingだなあと思える時もある。



でも、それでいいのさ!

ああ、自分にはJesusしかいないんだ。

もうそれで十分なんだ! 

昨日も5、6時間痛み発作の最中、布団の中でそんなことを思っていた。



痛いなあ、でも、イエス・キリストが一緒だなあ。

苦しいなあ、でも、イエス・キリストも一緒に苦しんでくださっているなあって。



「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。」マタイ5:3 


心が貧しいというのは、心が神様以外のことでいっぱいになっていない、空洞状態のこと。

心が空っぽで、自分はnothingだけど、イエス・キリストにあって、満たされている、、

I am nothing but I am fulfilled by God's Love.


神様の愛によって、霊的にはフルチャージ!

頭を垂れて祈れること、、、

礼拝できること、それこそがChristianの喜び。



私はそこまでできてないから、つまらないなあって嘆いちゃう時もあるの。

海に行きたいなあ、山に行きたいなあ、あの人に会いたいなあ、あれもしたいし、これもしたいよ。

「自分がしてもらいたいことを人にしなさい。」と聖書にあるけど、人にしてもらいたいことがいっぱいあるから、自分がそれをしようとしているの。。。。

でも、エネルギーが足りなすぎる。。。



痛い時は、普段はもう忘れてるのに、あんなことされた、こんなこと言われたと過去の傷が思い出されて、苦々しい自分がひょっこり出てくることもある。


でもね、、


ただ、目をつぶって、祈りをささげるとき、聖書の中の神様の言葉に触れられるとき、不思議と神様の国に引き上げられる。


そこには、確かにこの世にない神の国の愛と平安があって、自分の肉体やこの世を超越したKingdom of Heavenが心のうちに広がっていく。


この世にいる間の艱難も、不自由もやがてくる神様の国の栄光に比べれば、一時的なものだと思えてくるし、むしろ、神様が造ったこの宇宙や自然、動植物、人間、、すべてのことが愛おしくさえ感じる。

感謝、感謝!

God bless you! Peace be with you!

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「ナノエレクトロニクス―血液検査 ME/CFSバイオマーカー」Ron Davisらが、ME/CFSバイオマーカー血液検査を開発しました! 

論文アブストラクト:https://www.pnas.org/content/early/2019/04/24/1901274116?fbclid=IwAR2u_h8YA3biTEltBrWcNqi0fgogJV1tfE9p-E3lGnuqEk0Ju9s1pp6gjxI


Very exciting news!

「ナノエレクトロニクス―血液検査ME/CFS診断バイオマーカー」

OMFの資金によるME/CFS研究を続けていたRon Davisらが、National Academy of Sciencesにてナノニードルについての論文を発表。


ナノニードルとは、塩によるストレスを与えた結果、血漿(けっしょう)の免疫細胞の変化を測る検査。

ナノニードルの中で、免疫細胞は、微量の電流に触れる。

電気活性の変化は直接血液サンプルの健康に関連付けられる。

検査は、現在,、初期研究段階だが、人の免疫細胞がストレスにどう反応するかに土台を置く検査になっている。

40人の血液サンプルのうち、20人のME/CFS患者とそうでない人に検査をすると、

正確に20人のME/CFS患者を割り出すことができた。


すごいね!

もし、この治験が進めば、将来的に、多くの病院をかけづりまわらずに、

ME/CFS診断を受けられる日がやってくるということになる!!



#筋痛性脳脊髄炎
#慢性疲労症候群






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我が家の受難週!からのイースターおめでとう! 





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「私たちはみな、羊のようにさまよい、おのおの自分勝手な道に向かって言った。

しかし、主は、私たちのすべての咎(とが)を彼に負わせた。」(イザヤ53:6)


旧約聖書に預言された通り、イエスキリストは、人類の罪のいけにえとなって、

十字架にかけられ、3日目にこの世の呪いである死を打ち破って復活した、、、

その人類の歴史的な瞬間を私たちは、毎年このイースターの時期に覚える。



先週の日曜日は、シュロの主日。(イースターの日曜日の前の日曜日ね!)

イエス様が子ロバに乗って、

エルサレムに入城した際、ユダヤ人たちは、上着やシュロの木の枝を道に敷いて、

イエス様を喜びとともにお迎えした。



ところが、その同じ人々が、1週間もしないうちに、イエス様を十字架にかけて死刑にしてしまう。



このシュロの主日からイエス様が死から復活する復活日の前日の土曜日までを受難週と呼び、

十字架にかけられた日を受難日、そして、グッドフライデーと呼んでいる。

なんで、人類の救い主が十字架でかけられた日がgood!なのかと言えば、、、

私たちの罪の身代わり、代償として、神の御子イエスが十字架にかかったおかげで、

私たちの罪がゆるされて、これまで、罪によって断絶していた神様との親しい関係に入れられるようになったからだ。


でも、忘れてはいけないのは、イエスキリストが神であるお方なのに、

私たちのところに生身の肉体をもって降りてきてくださり、

罪のないお方なのに、両手首、両足首を太い釘で刺し通されて、十字架につけられたということ。


自分が死んで3日目に復活することをご自身は知っておられたが、

そこへ向かうイエスキリストの血の汗が出るほどの苦悩と祈り。

刺し通された釘の痛みがどれほどであったことか!






”マークはうす”では、毎週行われている日曜礼拝に加え、5月から第二日曜日だけ家を開放して、

聖書がはじめての方、普通の教会生活が諸事情でできない方のためのバイリンガル礼拝をすることになったが、

すでに、先週から人が来てくださったので、シュロの日曜日に、イエス様が歩まれた受難週をたどりながら、礼拝が行われた。

何故か、再びホルモン周期に巻き込まれ、ギリギリの状態で、薬をガブガブ飲みながらの礼拝だったが、

私の心は生ける川の水が流れるように癒されていった。



そんな喜びの時もつかの間、我が家でも、イエス様が歩まれた十字架への道をたどるように、大きな試練があった。



水曜日の夜、

近しい人が担架に乗って運ばれた。

パトカーに、救急車、、、ついでに、付き添いの私が痙攣を起こし、、、

見事なまでの(!)大騒ぎだった。



一睡もせずに、病院で一夜を過ごした。


夜中じゅう、病室の床の上で、天井を見上げながら、人間の弱さ、愚かさ、そして、罪深さについて、

神様と祈りを通して対話していた。



ちょうど、その日、寝たきりの病人が4人の人にかつがれて、

イエス様のところに運ばれてきた箇所を読んだところだった。(マルコの福音書2:1-12)

イエス様が不思議な業を行っているという噂を聞いて、イエス様の滞在していた家は大混雑。

そこで、その4人は、病人を床に寝かせたまま屋根からつりおろすことにした。

まあ、順番待たないズルだよね!(笑)


「イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、『子よ、あなたの罪は赦されました。』と言われた。」


ここで、イエス様は、この人の身体的な病を癒しただけでなく、

自分を愛してくれている神様を無視して自己中心的に生きてきた彼の的外れ(罪)をおゆるしになったのだ。

これが、一つのきっかけとなって、イエス様はユダヤ人宗教指導者たちの妬みや怒りをかって、後に十字架刑になる。


天井を見上げながら、、、

朝の礼拝で見た担架で運ばれた病人と、その晩、救急車で担架で運ばれた人が重なった。

神様は、わたしたちに何を伝えようとされているのか、、、黙想した。



いかに、私たちが神様の愛と恵み、赦しなしには生きていけない小さなものであるかを実感したと同時に、

わたしたちには、共に祈る仲間、床までかついで神様のところに連れて行こうとしてくれる仲間が必要なのだと思わされた。



なにか、大きな失敗や試練がある時は、神様との関係が更に深くなる転機となる。

「試練をこの上ない喜びとしなさい。」

すべてが恵みに変えられる!


明日は、イースター礼拝だ。(この記事、土曜日にちょびちょび書いた)


なんか、いつも思い出すのだ。

悪いことをして怒られたのに、その後、母親が「ほら、食べなさい。」と言って、ご飯を出してくれるような、、、

そういう感じを。


ただ甘やかすだけの愛ではなく、ダメなものはダメと懲らしめを与えてくれる。

「方向転換しなさいよ!」って。

だけどね、、、「わたしはもうダメだ。」と泣きじゃくった後で、

神様は、ぎゅーっと抱きしめてくれる。

「お前の罪は赦された。」

「わたしは、お前を永遠の愛を持って愛しているよ。」って。



今日も、また、神様の愛に包まれている。




PS:たぶん、文章がすごく下手なはず、、、読み直せないので。まあ、いいやね!

ハッピーイースター。「あの方はよみがえられました。」(マルコ16:6)




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そうきたか!さすがやね! 

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ハリセンボンのはるなになっている! 

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「慢性疼痛症、線維筋痛症と眼症状」医療講演会に行ってきた! 

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何かよいものが与えられている 子宮体癌検査と脳脊髄液減少症診察 

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「ひとりじゃないよ!-目に見えない!社会に見えない障害:ME/CFS・MCS・FM・Lyme 5月世界啓発フェス!」millionsmissing 2019登録イベント 参加申し込み開始しました! 

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神様の点滴は尽きることがない 

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NHK 「大往生」 

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天井が落ちてきた! 祈りの家と心の神殿を管理する 

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なかなかのリア充状態?! 

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勝利の行列 ~救急搬送、救急往診、訪問看護~ 

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恐るべし外国人?!恐るべし、眼球使用困難症! 

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I am OK! You are OK!という人生態度 ~もし、生きづらさを感じているなら~ 

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ボトックス注射 on Christmas Day! 

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自分がしたいことと神様がさせたいことは時に同じではない 

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このクリスマス、「してもらったこと、して返したこと、迷惑をかけたこと」を振り返ってみる 

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苦しみさえも喜ぶ変態的な生き方 

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自分が人にしてもらいたいことを人にしなさい。 

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ハーブ薬治療と「殺しておくれ!」からのメリークリスマス 

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私の味方:ライム病のことで、はじめて総合病院に行ってきた! 

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目的が正しくても、手段と動機が間違っている時 

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Yahooニュース 社会から理解されず、見過ごされー「慢性疲労症候群患者の切実な声」 

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10月23日(火)Eテレ ハートネットTV「忘れ去られた病 筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群の現実」 

10月23日(火)Eテレ ハートネットTV「忘れ去られた病 筋痛性脳脊髄炎/慢性疲労症候群の現実」

詳細は、ここをクリック!

10月23日(火)20:00-20:30 

チーフディレクターより、予定通り放送予定とのご連絡あり。

シェア、拡散よろしくお願いします!なるべくたくさんの方に見ていただきたいです!

NPO筋痛性脳脊髄炎の会やCFS患者に寄り添ってくださっている澤田石先生や、自分の体を差し出して、社会全体のために、治験に望んでいる患者さんたちを研究してくださっている山村先生ほか研究者の先生がた、そして、ME/CFS漫画を描いておられるゆらりさんの漫画や制度の谷間で苦しむ重症患者の方も取り上げられます。

30分番組ですが、チーフディレクターの方が、全国色々なところに飛び回って、取材をしてくださいました。

これが、きっかけとなって、まだ未診断の状態の方や原因不明の症状で悩まれている方々が診断にたどり着くこと、そして、また、医師や研究者の方々への啓発につながるといいですね。

辛い症状の中、ご連絡、取材協力してくださった方々に、一患者として心からのありがとうです!

#慢性疲労症候群
#筋痛性脳脊髄炎

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「2018年にアメリカで100万人がマダニ媒介感染症(母子感染、蚊など)ライム病に感染すると推測されている。」 

「2018年にアメリカで100万人がマダニ媒介感染症(母子感染、蚊など)ライム病に感染すると推測されている。」ケンタッキー ライム病の会の投稿。


アメリカで年間30万人以上が感染するライム病と共感染症。

今年は、年間100万人、、、。

異常気象の影響もあるに違いない。



短期抗生物質治療で80%-90%が完治するとされているが、、、

残りの10-20%の治療後も全身性の症状が出てくる患者、

そして、皮膚症状が出ず、感染したことを知らない未診断患者、

また、治癒したはずなのに、

何かしらをきっかけに再活性化した患者は、

慢性疲労症候群、線維筋痛症、多発性硬化症、ALS、自己免疫疾患、うつ病、強迫性障害、自閉症スペクトラムなどと診断されていく。

母子感染もあるとされている。

(性感染の論文もあるにはあります。)


誤診だったのか、それとも、診断は間違っていないが、その大元の病原体がボレリア菌と共感染症だったのか、、、それは私にはわからない。

「誤診」という言葉を使う患者会もあれば、「~と診断されいる患者の中にライム病陽性の人がいる」という表現を使う患者会もある。

また、これらの神経系疾患や精神疾患患者の全員が感染しているということではない。



日本でも、欧米並みのライム病に感染したマダニが存在すると国立感染症研究所の報告があるのに、なぜ、ライム病が問題にならないのか、、、ということに疑問は残る。

複数の医師たちに直接聞いたところ、、、

ライム病は、医学部で何十年も前に少し学んだだけで、急性ライム病の場合は、短期抗生物質で治癒する病気、日本では珍しい病気と学んでいるそうだ。


私が、日本で慢性疲労症候群の除外診断のため、入院した際も、ライム病を調べてほしいと言った時、医師たちとインターン10名ほどに大声で笑われたのはそのためだ。

親交のある医師に聞いたところ、急性のライム病のことしか医学部で教育されないらしい。

オーストラリアライム病協会によると、特徴的な皮膚症状が出るのは、35%以下の患者で、インフルエンザなどと誤診されやすい。

私も、最初の感染症は、インフルエンザと診断されていた。

ただ、日本の町医者が、

念のためと言って出した抗生物質2週間分で、

高熱などの症状が引いてしまったことが、、、

ある意味、遠回りの原因にもなってしまったのかもしれない。



ライム病は、臨床的な問診で診断され、血液検査は正確性が低いため、補助的に用いられる。

慢性疲労症候群、線維筋痛症、多発性硬化症、ALS、アルツハイマー病と診断される前に、

アメリカ、カナダ、オーストラリア、ヨーロッパ、アジアへの海外渡航歴、

国内外の牧場や草むら、動物との接触(牛、馬、犬、猫、鹿、、、)について問診されるべきだったあ!!

でも、都会の草むらにもマダニはいるので、、、

診断は本当に難しいし、一概に医師のせいとは言えない。

私は、若かったし、無知すぎて、くーちゃんの実家のオーストラリアの牧場や道のない草むらにスカートで入っていたし、ペットの牛を枕にして寝たりしていた。

まあ、牛に踏んずけられていなかったのも不思議だが。(笑)

アメリカに住んでいた時も、特にマダニのことなど知らずに山登りとかしていた。

ただ、思い出したのは、ニューヨークの友達の家に行った時、友達のお父さんが病気で寝ていてたこと。

友達が、「ライム病とかいうわけのわからない病気で、いつも寝ている。」と嫌味っぽく言っていた。

その時、柑橘系フルーツのほうのライムを想像したのを覚えている。

まさか、自分が同じ病気だったとは!!!



日本では、マダニに咬まれても標準治療以外の治療を医師たちが医学部で学んでいない。

急性の症状が引いても、痛みや、倦怠感、睡眠障害やうつ症状などの全身性の症状が継続される場合、今のところ、他の病気になったということになってしまう。

オーストラリアライム病協会のライム病パンフレットでは、標準治療後も症状が続く場合は、医師の指導のもと、6週間から8週間の複合的な治療を継続し、それでも治らない場合は、治療の延長や繰り返しなどを推奨している。

アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリアでも、これらの治療は、保険内ではできない。

ハーブや点滴治療などの統合医療をしている医師が西洋医学と自然治療、食事療法などで治療していく。



海外でも一般的な医師たちは、医師免許はく奪を恐れて、ライム病患者に関与したがらない。

日本の医師に聞いたところ、長期的な抗生物質治療は、保険内では不可能な上、医師免許などにも関わるため、できないというのが現状だそうだ。

医師を責めるわけにもいかない。

神経内科の医師に、「勉強不足ですみません。」と謝られることさえあった。



早期発見、早期治療の場合、普通の日常生活ができるようになる可能性が非常に大きいので、もどかしい。

アメリカでも、オーストラリアでも、ライム病に精通している医師の数が非常に限られていて、日本では急性ライム病以外は、壊滅的。

それでも、ハーブなどの自然療法と栄養療法の組み合わせで治癒する可能性もあり、実際に、何十年も慢性疲労症候群と線維筋痛症、その他の神経系疾患として生きていた車椅子ユーザーが軽快化した人たちもいる。

未診断のまま放置すると、ライム病自体は進行していく。

ライム病後症候群の場合、慢性期に入って慢性脳脊髄炎を起こしている場合、治療は、ME/CFS治療にプラスアルファで、

ライム病菌やバイオフィルム化した菌、そして、寄生虫などの共感染症を殺すという作業が加わる。


私は、ME/CFS治療(腸内毒素症、副腎疲労、リーキーガットなど)をしながら、

抗生物質治療2週間、その後、オーストラリア医師の処方のバイロンベイプロトコルのハーブ治療、再び、抗生物質治療2週間、、、

今は、バーナープロトコルというライム病ハーブ治療を自分で色々なところから注文してためしている。

昨日、もうこうやって自分でせこせこやっていても、しょうがないと思い、カウデンプロトコールのハーブ、栄養療法治療を注文した。

とりあえず、髄液漏れは後回し。


やっと、筋痛性脳脊髄炎という名前を立証するかのように、ME/CFSやFMの脳の広範囲における炎症のことが繰り返し国内外で証明され、日本でも治験などが始まっていて、患者たちの日常生活の質が向上する道に一歩ずつ近づきつつある。

そんな時に、私がマダニだの、寄生虫だのと言いだして、うんざりしている人も出てくると思う。

一番うんざりしているのは、何を隠そうこの私なので。(笑)



でも、昨日、玄関で花に水をあげている時、小さな男の子が家の前を通りすぎた。

かわいいワンちゃんとその小さな男の子が、おばあちゃんに手を引かれてひょこひょこ歩いていた。

この子やこの子犬がもし、ある日、何も知らされずに、都内の公園に行き、ライム病感染したマダニに咬まれたら、、、

親も学校も、近所の人も、医師までも、マダニ感染症の恐ろしさを知らずに、ほっておいたら、、、。

この子がもし、大きくなって社会に出た時、

ストレスが原因で、免疫が下がり、

その時に体内に入ったボレリア菌や寄生虫が暴れだしたら、、、。


自分の中には、このことを発信する恐怖もある。

イギリスME/CFS映画を翻訳した時も、

正直、「神も仏もあるものか!」という内容だったので、

とにかく、患者が励まされるような内容ではないと警告した。

翻訳した私自身が非常に落ち込んだからだ。

でも、NPOや各患者会さん、個人の啓発家のおかげで、国会議員やお医者さんたちにも見ていただけて、病気の深刻さは伝わったのかなとは思う。

だから、たとえ、一部の人に憎まれてしまっても、

それは、それで受け止めた。




マダニ媒介感染症のことは、被害者を減らすために、もっと大きな範囲の人たちに伝えなければならない。

健康な人が私みたいな障害者にならないで済む可能性がある、情報さえあれば、病態がリバースする可能性や奪われずに済む命があるのだから、、、。

まあ、いつもと同じスタンスで、、、

大きいことはできずとも、

細々とね!

ライム病と共感染症の情報、慢性疲労症候群と線維筋痛症とライム病の関係は以下のリンクから。(何度も言うようですが、ME/CFS,FM全員がライム病陽性という意味ではありませ~ん!)




ちなみに、レディガガが線維筋痛症と公表したが、、、

そのことについてライム病専門医が言及している。

まあ、それはまたいつか、、、。




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はじめまして。

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